2017年08月16日

2017年8月12日、熊本城二の丸広場の御駐驛之跡

2017年8月12日撮影


20170812suy08.jpg

二の丸広場に楠や椋、桜などたくさんの木々があります。

この大楠はいつも日陰を求めてたくさんの人が集まってきます。

この日は夕方で誰もおらず、一枚撮ってきました。



20170812suy09.jpg

御駐驛之跡

天皇陛下が行幸されたのを記念してして建てられた石碑です。

昭和6年(1931年)11月12日〜14日、昭和天皇統監の陸軍特別大演習が行われ、その時天皇がお見えになりました。

案内板もないので、これがどんな碑なのかみんなわかっておらず、ここに座っている人が多いです。






    
肥後 熊本 歴史
    

火の国の語源
日本書記・・・景行天皇は『其の火は、是誰人が火ぞ』ととひたまふ。然るに主を得ず。茲に人の非ずといふことを知りぬ。故、其の国を名けて火国と曰ふ。
肥前国風土記、肥後国風土記・・・崇神天皇の時代、八代郡白神山の上空から火が降りてきてそれが土蜘蛛を全滅させた。そのため天皇はこの国を『火国』とし、そのときの討伐将軍を『火君』とした。
新選事蹟通考・・・火の国の起源は『倭名類聚抄』に記載された八代郡の肥伊郡(現在の八代郡氷川町宮原あたり)にある。この『ひ』と呼ばれた火君発祥の地が、やがてクニとなり『ひのクニ』と呼ばれるようになった。



    
 熊本城 年表
    

天正20年(文禄元年)(1592年)9月21日、侍町の惣構の塀の建築について指示
天正20年(文禄元年)(1592年)11月12日、本丸の『おうへ』に作事について指示


文禄の役

文禄元年(1592年)  清正の動向
1月、秀吉、諸大名に朝鮮・明への出陣命じる。
2月、肥前名護屋城完成(前年9月着工)。
4月、釜山上陸。  12日小西軍、17日加藤軍。
5月、漢城(現ソウル)を占領。朝鮮王国逃亡。
6月、東北の咸鏡道に向かい朝鮮国王子を追う。(小西軍、平壌に入城)
7月、会寧を攻略し朝鮮の二王子らを捕える。さらに国境を越え、オランカイを偵察。
9月、安辺に帰着。(小西、明の沈惟敬と平壌で講和交渉⇒休戦協定)  

posted by 夢子 at 15:24| 熊本城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする