2017年08月16日

2017年8月12日、江戸時代は長岡図書預櫓、今は監物櫓

2017年8月12日撮影
監物櫓


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通るたびにあまりの雑草で、そのうち石垣が見えなくなるのでは・・・と心配になる監物櫓。

今、私たちは監物櫓といっていますが、江戸時代は長岡図書預櫓と呼ばれていました。

この櫓は監物台樹木園にありますが、ここに屋敷を構えていたのは細川家の一門の筆頭であります長岡刑部家でした。

米田監物の屋敷は百間石垣のところで、現在は石置き場となっています。

まぁ、名前とどうでもいいんですが、この櫓も重要文化財です。

地震で外壁は落ち、櫓の傾きも有り、今後修復されますが、それまでこの雑草はこのままなのかな?



    
肥後 熊本 歴史
    

鞠智城(きくちじょう、くくちのき)
天智2年(663年)、白村江の戦
倭国(日本)は百済と連合して、唐・新羅連合軍と戦い、大敗して逃げ帰った。
大和朝廷は日本列島への侵攻に備え西日本各地に城を築いた。
九州では大野城(福岡県)、基肄白(佐賀県)、金田城(長崎県)が築かれた。
熊本には大野城・基肄城に武器・食糧を補給する支援基地として鞠智城が築かれた。



    
 熊本城 年表
    

文禄2年(1593年)7月、西生浦城普請



文禄の役
文禄2年(1593年) 
1月、明軍の平壌総攻撃、小西軍は平壌から撤退。
5月、明使節、石田三成らの案内で名護屋城に着く。
6月、清正、秀吉の命により朝鮮二王子らを返還する。晋州城を亀甲車を使って攻略。

posted by 夢子 at 15:32| 熊本城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする