2016年01月12日

【佐賀】三が日の祐徳稲荷神社は参拝客でいっぱい


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2016年の三社詣は佐賀に行ってきました。

名古屋生まれの名古屋育ちの私には『三社詣』という習慣はなかったのですが、すでに熊本に生活するようになり20年になり、昨年から三社詣をはじめました。

佐賀といえば、祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)ですよね。

15〜6年前に一度行ったことがありますが、すごく大きかったという印象しか残っていなくて・・・。

そして今回もやはり大きかったです。ここはスケールが違いますね。


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ここで、夫婦そろって、『これ、これだよねー』と感激。

よくテレビで見ているので、実際に見るとテンションがあがります。


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お詣りを済ませ、下を見ると、参拝客の多さを実感。

そして、ひたすら奥の院を目指し上に登っていきます。



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ここらへんにくると空気がひんやりして気持ちがいい。

3〜4歳ぐらいの小さな子たちも一歩一歩登っています。それを見たらいい意味で気合いを入れられましたね。


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自分の足でしっかり歩き、汗をかき、そして心を落ち着かせて手を合わせる。

多分、昔はこんな風だっただと思う。それをちょっとだけ体験でき、新年早々よかったです。


祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)
佐賀県鹿島市 古枝乙1855
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2015年04月11日

武雄鍋島家の菩提寺・円応寺のアーチ型の石門に魅せられる


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先日、佐賀の円応寺に行ってきました。ここは佐賀でも有名な桜の名所です。

円応寺は室町時代の1519年に開山された古いお寺です。武雄鍋島家の菩提寺ですが、桜の時期は桜目当ての人でにぎわいます。参道の両脇にずらりと立ち並ぶ桜は、頭上で枝々が重なり合い見事な桜のトンネルが出迎えてくれます。



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円応寺は桜だけではなく石門も有名です。

大きな鳥居型の石門が堂々と建っています。これをくぐると桜のトンネルです。



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桜のトンネルも見事でしたが、このアーチ型の石門は美しい。

石で見事なアーチを描いています。



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文化14年(1817年)に造られたものですから、もうすぐ建立してから200年になります。

長い間この地で風雪に耐えながら、ここを訪れる人たちを出迎えてくれます。

きっと200年前は石の色も今とは違ったと思います。



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アーチの美しさだけでも十分見ごたえがあるのに、屋根もちゃんとしています。切妻型です。どこまでも丁寧に作られています。


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第28代武雄領主鍋島茂義が15・16歳頃書いた『西海禅林』の額。

私は堂々した立派な字だと思ったんですが、当時筑前の使者が『拙い書』と指摘したそうです。それ以来鍋島茂義は書に励み上達したそうです。



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桜のトンネルきれいでした。でも、私の心の中にはアーチ型の石門の美しさが鮮明に残っています。そして手には石の触感が残っています。


円応寺
佐賀県武雄市武雄町富岡10513

[ここに地図が表示されます]
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2013年04月09日

【佐賀】茶苑『海月』でお菓子&お抹茶を堪能し、秀吉にふれる

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名護屋城を見学したあとは、隣接する茶苑『海月』へ。

入園料は500円かかりますが、お抹茶とお菓子をいただけるので名護屋城で歩き回り、疲れたあとの一服は心と体を癒してくれます。


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日本庭園を眺めながら数奇屋造りの茶室での一服exclamation×2

普段、お茶とは無縁の生活をしていますので、素敵なひとときを過ごすことができましたぁ〜


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お菓子にひょうたんがexclamation×2  これは秀吉にちなんだもの。

秀吉が瓢箪を自分のシンボルとして使い始めたのは、まだ木下藤吉郎と名乗っていた時期。織田信長の家来として美濃の斎藤竜興、稲葉山城(のちの岐阜城)を攻めたときでした。

織田信長は堅固な稲葉山城の攻略に難儀しました。そこで秀吉は、城の背後からの奇襲作戦を思いたち、稲葉山の裏山に入りました。その時、山気を払うため、ひょうたんをひとつ腰につけていきました。秀吉は侵入に成功し、城に火を放ちます。

功あった秀吉に、信長が瓢箪を馬印にすることを許したのが、秀吉と瓢箪の関係の始まりです。その後、戦いに勝つたびにその数を増やしていったと伝えられています。


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器はそれぞれ違うので、これだけでも楽しめます。

って、本当はよくわからないけどあせあせ(飛び散る汗)


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お茶をいただいたあとはお庭に出て、手入れの行き届いた日本庭園を散策。


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キリの木

これも秀吉にちなんで植えてあります。
キリの花、はじめて見た〜 薄紫のきれいな花でした。
お天気が悪く写真ではよくわかりませんが(^^;;

古くから桐は鳳凰の止まる木として神聖視されており、日本でも嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。また中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っている。このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。(ウィキペディアより)




茶苑「海月」
佐賀県唐津市鎮西町名護屋3458番地
TEL/FAX:0955-82-4384

開園時間 9:00〜17:00 (入苑は16:30まで)

休苑日 水曜日(不定期)、12月29日〜1月2日
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2013年04月08日

【佐賀】肥前 名護屋城のスケールの大きさに圧倒される

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名護屋城に行ってきました。

『なごやじょう』というと名古屋になる名古屋城が有名ですが、私が今回行ってきたのは佐賀にある名護屋城です。ここは以前から行きたいと思っていたお城。

秀吉は武力で全国統一を成し遂げ、ついにその勢力を日本の外へも拡大しようとした。
明を征服しようと、ここ名護屋に巨大な城を作った。そして全国各地の大名を動員し、ここ一帯に130ものの陣屋が造られた。


頭の中ではわかっていたが、イザ名護屋城に足を踏み入れるとそのスケールの大きさに圧倒された。短期間で造られた巨大な城を、この地域の人たちはどんな気持ちでみていたのだろうか。

一説によると朝鮮で武将たちが戦っている間、秀吉は能を楽しんだり、お茶会を開いたりしていたらしいが・・・。秀吉は本当に明を征服できると思っていたのだろうか?

家康や前田利家は海を渡っていない。戦に勝てば当然新しい土地は大名たちの領国となる。家康や利家がこれ以上加増となると秀吉にとっては脅威の存在になると恐れていたのだろうか?


この時代にタイムスリップしたい。
秀吉とそれぞれの大名たちがどんな思いで、どんな日々をおくっていたのか知りたいし見てみたい。


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丸く囲んであるところは江戸時代になって壊された石垣です。
名護屋城のあちこちに石垣が中途半端に壊されています。
すべて壊したかったと思うけど、あまりに巨大で大変だったから途中でやめたのかも。


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大手口跡
 
城の南東の入口。
ここから城内に通じるおよそ100mの直線の坂道で、東出丸へと至る

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三の丸跡

本丸の西側の防御のために築かれた三の丸には、侍詰所などが置かれた。


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本丸跡

本丸には城の中枢を担っていた本丸御殿などの主要建造物が置かれていた。発掘調査の結果、およそ12棟の建物が存在していたと推定されている。


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見晴らしがいい。
ここから各大名の動きも監視していたんだろうな。特に家康の行動は。家康の陣屋は川を挟んでふたつに分かれています。これはきっと秀吉が警戒したからだと思う。

今度はもっと時間をかけて、各陣屋もまわりたい。ここはどれだけ時間をかけてもじっくりまわりたいな。


名護屋城

天正19(1591)年、豊臣秀吉によって朝鮮出兵の前線基地として肥前国松浦郡の丘陵地に築かれた平山城。

大陸へ軍勢を渡航させることに主眼を置いた仮説的な拠点でありながら、その範囲はおよそ14万5000kuにも及び、士気高揚のために築かれた5重7階の天守をはじめ10基以上の多重櫓を備えた城郭は九州最大、全国でも大坂城や聚楽亭にも匹敵する規模を誇っていた。

秀吉は九州の諸大名に築城を命じ、4〜5万人を動員してわずか半年で城郭の基礎部分を完成させた。
さらに城のある丘陵の周辺には徳川家康、加藤清正、上杉景勝ら諸将の陣屋が配され、この地域は常時20万人が超える将兵が滞在する一大都市となった。

慶長3(1598)年、秀吉が没すると、足掛け7年にも及んだ朝鮮出兵に終止符が打たれ、本陣であった城も破棄された。その資材は唐津城などの建設に転用された。

江戸時代になると幕府は城の再利用を防ぐために残された建造物、石垣は破棄されたが、比較的良好な形で数多くの遺構が残されている。


文禄の役

文禄元(1592)年1月〜文禄2(1593)年閏9月

天下統一を果たした豊臣秀吉は明を支配下に収めるべく、まずは侵攻経路上にある朝鮮半島への出陣を諸大名に命令。

約16万の豊臣軍は、先陣を務めた小西行長隊が朝鮮上陸後に釜山城などを攻略したのを皮切りに、加藤清正隊らの軍勢もこれに続き、上陸から1か月ほどで朝鮮の首都である漢城を陥落させると、朝鮮の8地域を分割して侵攻する方針を採った。

いっぽう朝鮮側は、漢城を脱出した国王の宣祖が明に援軍を要請し、李舜臣率いる朝鮮水軍か戦果を挙げたほか、民衆による義勇兵が各地で豊臣軍に抵抗する。

こうしたなか、行長は朝鮮北部の平壌を落とし、清正が挑戦王子の身柄を押さえるなどしたものの、全体の戦況を悪化させた豊臣軍は、明への侵攻をいったん取りやめ、朝鮮の統治を優先することにした。

その後、一時的な休戦を挟んで、明・朝鮮連合軍に平壌を奇襲されてしまい、漢城まで撤退した豊臣軍は、漢城近くの碧蹄館での

戦いには勝利したが、以降は戦局が膠着し、和睦を模索。交渉を有利に進めるため、朝鮮南部の晋州城を攻略した後、朝鮮から引き揚げ、戦いは引き分けに終わった。


慶長の役

慶長2(1597)年2月〜慶長3(1598)年11月

明征服をもくろみ朝鮮半島で起こした文禄の役で勝利を得られないまま和睦に踏み切った豊臣秀吉は、明との交渉が決裂すると、朝鮮南部を確保すべく再侵攻を命令。

7月までに朝鮮半島に上陸した約14万の豊臣軍は、釜山を拠点として進軍を開始し、南原城、黄石山城などを攻略した後、冬の到来を前に沿岸地域に戻り、朝鮮南部支配のために城を築いて越冬の準備に取り掛かった。

12月、こうした城のひとつであった蔚山城に、7万近い明・朝鮮連合軍が突如として押し寄せ、3000余りの兵とともに籠城を余儀なくされた加藤清正は、城内の水や食料が不足し、餓えや寒さで倒れていく者が続出しながらも、毛利秀元らの援軍が到着するまで持ちこたえて危機を脱する。

その後、朝鮮の豊臣軍諸将の間で戦線縮小や独自の和平工作が検討されるなか、慶長3(1598)年10月には島津義弘隊が泗川城を襲った4万近い明・朝鮮連合軍を撃退したが、その2か月ほど前に秀吉は死去しており、豊臣政権は朝鮮からの引き揚げを決定。順天城で孤立していた小西行長が義弘に救出されて撤退が完了したことで、戦いは終結。





佐賀県立名護屋城博物館

佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
TEL 0955-82-4905

【開館時間】 9時〜17時
【休館日】 月曜日(休日の場合翌日)、 年末(12月29〜31日)
【入館料】 無料(企画展期間中は有料)







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2013年02月11日

【佐賀】有田の陶祖・李参平を祀る陶山神社(すえやまじんじゃ)

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有田にある陶山神社(すえやまじんじゃ)。
陶山と書いて『すえやま』と呼びますが『とうざん』とも音読されます。『すえやま』よりも『とうざん』のほうが読みやすいです、わたしは。


予備知識なしで行ったので、最初この鳥居を見たときは他とさほど変わりがない神社と思いました。でも、全然違いましたよ。

朝鮮出兵の際、肥前の領主・鍋島直茂が陶工師・李参平(りさんぺい)を日本に連れてきました。李参平は白磁石を求めて鍋島領内各地を転々とし、有田東部の泉山で良質の白磁石の石場を発見。李参平はここに天狗谷窯を開き、日本初の白磁器を焼いた。これが有田焼の起こりです。その李参平と鍋島直茂を祀っているのがここ陶山神社です。


李参平さんってどんな気持ちで毎日を過ごしたのかな?
日本に連れられてきた当初はきっとイヤだっただろうな。でも、李参平さんのおかげで日本に有田焼というものができた。これも何かの縁だと思うけど、李参平さんの功績はとても大きい。ありがとうございます。日本の文化を、有田の文化を創ってくださりありがとうございます。


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磁器製の鳥居や陶磁器製狛犬など他の神社とは違います。


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陶山神社(すえやまじんじゃ)
佐賀県西松浦郡有田町大樽2丁目5-1


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【佐賀】伝統文化の交流プラザ・有田館で伊万里焼のお雛様を楽しむ

佐賀にある有田は何年か前にゴールデンウィークの有田陶器市にいったことがある。そのときに有田の街を散策したが何しろ有田陶器市の人出はすごいのでじっくり街並みを楽しむができなかった。それ以後、何度も有田は行っているがなぜか有田散策には縁がなくやっと実現した。あちこちのお店を覗き、美しい器に触れてきた。

そんな中一番私の心をわしづかみにしたのが伝統文化の交流プラザ・有田館に展示されていたお雛様。お雛様が近いということで『磁器ひな人形四ヶ国展』を開催していた。柿右衛門、ドイツのマイセン、スペインのリヤドロ、ハンガリーのヘレンドのお雛様が展示されているんだけどこれぞ芸術ですね。ぞくぞくしました。


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柿右衛門のお雛様


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マイセンのお雛様

ヨーロッパの磁器のルーツって有田にあったんですね。はじめて知った!
マイセンはかつて柿右衛門様式をお手本にして磁器の絵付けを学んだそうで、いや〜 無知の私はびっくりですよ。あの世界のマイセンが柿右衛門をお手本にしていたとは。昔は柿右衛門の真似をして絵付けの勉強をしたそうです。いい勉強になりました。有田に行ってよかったぁ〜


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柿右衛門やマイセンのお雛様を拝見できただけでもとてもラッキーなことなのに、なんとしん窯制作の世界最大の磁器の7段飾りもこの目で見ることができました。

構想から3年かけて完成したもので、お内裏様、おひな様からお道具まですべて磁器です。きれいですよ〜
お雛様のお顔は美智子皇后さまをモデルにしているそうです。だからめちゃ品があります。


写真はこちらにたくさん掲載しています。興味のある方はご覧くださいませ。
伊万里焼 ひな祭り(1)
伊万里焼 ひな祭り(2)
伊万里焼 ひな祭り(3)


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有田館ではコーヒーが飲めます。1杯200円安いんですが、なんと器がめちゃいい!
有田焼・マイセン焼・景徳鎮焼のお好きなカップを選んでコーヒーが飲めます。カップ選び楽しかった〜 マジで迷いますよ。そして一番高いカップを選んだ(笑)
青い方のカップは4万円だそうです。こんなすごいカップでコーヒーを飲むと緊張しますね。


伝統文化の交流プラザ・有田館
佐賀県西松浦郡有田町幸平1-1-1 
TEL:0955-41-1300
営業時間:9:30〜17:00
定休日:年末年始


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【佐賀】光のバレンタイン 〜TAKEO・世界一飛龍窯灯ろう祭り〜

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佐賀県の竹古場キルンの森公園にある飛龍窯を見てきましたぁ〜

この日は『光のバレンタイン 〜TAKEO・世界一飛龍窯灯ろう祭り〜』をやっていてたくさんの人で賑わっていました。

『飛龍窯』は世界最大の容積を誇り、 全長23mで一度に12万個の湯飲みを焼くことができます。12万個ってすごい量ですが・・・。今回はイベントなので窯の中に入ることができました。


ある窯はカフェに、ある窯ではなんと体験スペースに。私もトライしたけど夫のほうがはるかにセンスがある。デザイン体験でアロマキャンドルの器にいろいろな形で穴をあけたりするんだけどこれ思ったより難しくて、自分のセンスのなさを思い知った(^^;; 焼き上がりに1ヶ月ぐらい時間がかかるけど今から届くのが楽しみ〜


窯って普段入ることができないから、童心に帰ってワクワクしちゃった!
そして、かわいいハートの器をみつけたぁ〜 小鉢と取り皿を夫お揃いで買っちゃった(^○^)


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今回のイベントは灯ろう祭りなので夜の方が断然いい。でも、熊本から夜行くのはね・・・ きれいな燈籠みたかったな。

こちらできれいな灯ろう堪能ですよね。
〜光のバレンタイン〜 TAKEO・世界一飛龍窯灯ろう祭り


竹古場キルンの森公園・飛龍窯
佐賀県武雄市武内町真手野24001-1
TEL   0954-27-3383

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2011年11月25日

【佐賀】紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)

紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)

佐賀にある西渓公園(せいけいこうえん)に紅葉を見に行ってきました。
こちら多久市は佐賀県の中央にある市で、高速が通っているのでアクセスは便利。山々に囲まれた緑豊かな静かな町です。

西渓公園(せいけいこうえん)は桜、紅葉の名所で有名で県外から訪れる人も多い。
この公園は多久出身の炭鉱王・高取伊好(ちかとりこれよし)氏が大正9年から13年かけて整備した山水公園。園内の寒鶯亭(かんおうてい)や図書館(現存するのは書庫部分のみ)とともに当時の多久村に寄付しました。


紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)


紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)


紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)


紅葉の名所・西渓公園(せいけいこうえん)

西渓公園(せいけいこうえん)は奥のほうに行くと小高い山になっています。山の上のほうが紅葉がきれいです。歩きやすい靴を履き、是非登ってみてください。
気持ちよかったぁ〜 紅葉もきれいだけど見晴らしもいいし空気も澄んでいてここある意味、紅葉の穴場。人はそれなりにいるけどめちゃくちゃ多いってわけじゃないのでゆっくり散策できます。九年庵と比べるのもあれかもしれないけど、人出ははるかにこちらのほうが少ないのでゆっくり紅葉を見たいなら西渓公園おすすめです♪


西渓公園(せいけいこうえん)
城山の緑を背に閑静なたたずまいのこの地は、近世の女山(西多久町)を領有していた、多久家筆頭家老の屋敷跡です。大正9年高取伊好(たかとりこれよし)氏が公園として整備の上寄贈。地名から
西渓公園と名付けられました。高取氏の号も西渓といいます。
高取氏はまた大正13年、洋風二階建ての図書館、赤煉瓦造りの書庫、『寒鶯亭(かんおうてい)』と呼ばれる公会堂も建立し寄付しました。
図書館は昭和55年老朽化のため取り壊され、跡地には歴史民俗資料館、その南側には郷土資料館が建っています。
公園内には、高取氏の業を称える像や、聖廟創建に功績のあった佐賀藩の儒者武富威亮邸より移築された大寳聖林碑、竜造寺長信夫人の屋敷跡とされる『芳岩屋敷』などの史跡があります。
こうした先人の遺香とともに、公園には梅・桜・紅葉・草花、数多い野鳥のさえずりなど、四季それぞれに奥深い自然の美が豊かなところです。(現地案内板より)


炭鉱王・高取伊好(ちかとりこれよし)

立派な方です。炭鉱王・高取伊好(ちかとりこれよし)氏は。
実業家で成功し、学校設立、教育基金設立、道路開発など社会に大きく貢献した方です。こんなすごいことはできないけど私も見習いたいものです。


高取伊好翁
物を開き務めを成した炭鉱王

高取伊好(1850〜1927)は嘉永3年(1850)、ペリー来航3年前、多久家儒臣鶴田斌の三男として嫩垞屋敷(どんだやしき)に生まれた。長兄に刑法学者鶴田晧、次兄に炭鉱経営者横尾庸夫がいる。東原庠舎に学び高取大吉の養嗣子となり、邑主多久茂族に請われ長子茂穀(乾一郎)と勉学を共にした。明治初年工部省鉱山寮に入り、鉱山学を修めたのち、当時最も必要とされた炭抗の開発に艇身した。晩年、高取鉱業(のちの杵島炭砿)を創設し『石炭王』と呼ばれ実業界に名をなした。
一方事業で得た富は義捐金、教育資金、産業資金として惜しみなく社会に還元した。号を西渓、法名を自ら『開物斎成務伊好居士』としていた。高取伊好の生き方は、まさに易経にある『物を開き務めを成しとげる』を意とする開物成務そのものであった。
昭和2年(1927) 78歳で没した。この像はもともと立像で大正9年村民及び縁故者の寄附で建てられたが、戦時中、伴出されて胸像となった。原形は渡辺長男(朝倉文夫の兄) 鋳造は岡崎雪聲(東京美術学校教授)によるものである。(現地案内板より)


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国の登録有形文化財 寒鶯亭(かんおうてい)
高取伊好(たかとりこれよし)が寄贈した公会堂です。私が行った時は無料の休憩所になっていました。こんな価値があるものを休憩所にする和久市ってすごいな。


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多久市西渓公園寒鶯亭(かんおうてい)
寒鶯亭は、多久町出身の炭鉱王・高取伊好(たかとりこれよし)によって、大正11年に建物であり、木造和風公会堂建築の好例といわれる。建設当時は大規模な工事であり、村民のための社会事業の側面もあったという。
学問の家系に生まれた伊好は、人情に厚く、文化・教育・社会事業に多額の寄付をした。当時独立施設の村立図書館はめずらしく、寒鶯亭や西渓公園と合わせ、小さな山間の村に文化の灯をともしたいという伊好の思いが込められている。
伊好直筆による『寒鶯待春』の書が寒鶯亭の名の由来であり、寒鶯とは冬の鶯の意味である。『冬の間、鶯は春に備えて一生懸命笹鳴きをし、春に美しい声を出し一人前の鶯となる。多久の人々も一人前の人物として世に出るため、この公会堂で笑学んでほしい』という思いが込められている。
また、図書館に付設させた赤煉瓦造りの書庫(現多久市郷土誌資料館書庫)は西渓公園内に現存し、寒鶯亭とともに建設には杵島炭鉱の技師が数多く携わったといわれている。(現地案内版より)



西渓公園(せいけいこうえん)
佐賀県多久市多久町西の原
お問い合わせ
多久市 商工観光課 0952-75-2117
多久市観光協会 0952-74-2502

※西渓公園の横には、源頼朝から多久領を拝領した多久太郎宗直が建立した多久八幡神社、弘化元年(1844)に多久11代領主・多久茂族が建てた多久神社があります。



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2011年11月22日

【佐賀】幕末の医者・蘭学者伊東玄朴(いとうげんぼく)の旧宅

九年庵(くねんあん)仁比山神社(にいやまじんじゃ)を見学したあとは参道にある幕末の医者・蘭学者伊東玄朴の旧宅へ。


【佐賀】幕末の医者・蘭学者伊東玄朴(いとうげんぼく)の旧宅

幕末の医者蘭学者で、近代医学の父として知られている伊東玄朴(いとうげんぼく)の旧宅。


伊東玄朴旧宅
伊東玄朴は寛政12年(1800) 農家の長男としてここに生まれました。
11歳のとき不動院玄透法印(げんとうほういん)について漢学を学び、17歳で自宅にて漢方医を開きますが、新しい医術へあこがれ長崎の鳴滝塾(なるたきじゅく)でドイツ人医師シーボルトに師事し、学識を飛躍的に向上させました。
25歳で江戸に出て、当時不治の病と言われたジステリアを治したことから蘭方医として名声を博しました。
天保4年(1833) 蘭学塾『象先堂』を開設し、人材の育成にも努めました。同14年、佐賀藩主鍋島直正の御匙医となり『牛痘種法編』を翻訳する一方、牛痘接種を強く献言しました。直正はその意見を取り入れ藩医楢林宗建を通じて蘭医モーニッケより牛痘苗を取り寄せました。
嘉永2年(1849) 藩主の長男の淳一郎に、同年江戸屋敷で長女貢姫に接種しいずれも成功しています。これがわが国の種痘の最初と言われています。後に徳川十三代将軍・家定の奥御医師となります。
文久元年(1861) 西洋医学所(現在の東京大学医学部)の創設をしました。
明治4年病気のため70歳で亡くなりますが、医学に捧げた功績は大きく、我が国における近代西洋医学の父と仰がれています。(現地案内板より)


鳴滝塾(なるたきじゅく)
シーボルトは、出島の商館医として例外的に出島の外で診察し、教育の場を持つことを許された。長島出島に別荘を作ることを許可され、鳴滝塾を開設している。
塾には、伊東玄朴・楢林宗建・高野長英・土生玄碩・岡研介各地より58名の塾生が学んでいる。
シーボルトの講義は、医学書から学ぶものではなく、診療治療の実際を目の当たりにして学ぶもので、西洋医学の基本的原理が教えられた。また、塾生にテーマを与えそれについてオランダ語でレポートを書かせることも行い、日本の情報収集の一つの手段としていた。(現地案内板より)


種痘の日本への伝来
1653年
明の著名な医師載曼公(黄檗宗隠元の弟子となって独立性易と改名)により鼻種法が長崎に伝わる。天然痘の診療治療と人痘の鼻種を長崎の高玄岱や岩国の池田正直に伝えた。正直の曾孫瑞仙は幕府の痘科の医官となった。

1744年
清の季仁山が長崎に渡来し、人痘の鼻種(早苗法)を実施。

1793年
出島商館医ベルンハルト・ケルレルが未痘児の腕に人痘の病漿を接種。町年寄高木清右衛門の請いによるものであった。翌年江戸参府の折この腕種法を江戸の蘭方医にも伝えた。

1849年
モーニッケによって長崎にもたらされた牛痘が日本全国に広まった。(現地案内板より)


天然痘と種痘の歴史
天然痘は、おそらくインドが源で、日本には元々天然痘はなかったが、735年に北九州に上陸して流行した記録がある。その後、大陸より感染して渡来した人々に端を発して全国へ流行していった。
天然痘ウイスルの空気感染・吸収によりうつっていく病気で、12日間の潜伏期の後、高熱を発し錐が刺したように頭が痛む症状がある。
※1・2日目に赤斑や点状出血を生じる。
※4日目以降に丘疹がまず手足・足蹠・顔から全身の皮膚に広がる。
※発疹は水痘に変化し3日ほど経過する。
※11日目には膿痘となる。目瞼が閉じて外聴道がふさがり唇が腫れる。(現地案内板より)



洋学は18世紀の初め、新井白石らによって研究の道がひらかれた。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の時代になると漢訳洋書の輸入制限がゆるめられ、当時、蘭学とか蛮学とかよばれていた西洋の学問に関心をもつ人々がふえた。
文政6年(1823) ドイツ人シーボルトはオランダ商館医として日本に来日。その後彼は郊外の鳴滝に診療所兼学塾を開き、高野長英、高良斎、伊東玄朴、小関三英ら多くの俊秀を育てた。


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九年庵に行くことを目的に訪れた神埼町でしたが、仁比山神社といい、伊東玄朴の旧宅といい、ここは歴史の宝庫ですね。
日本で最初に種痘を導入した功績の持ち主のお宅を拝見できるなんてラッキー(^^)
天然痘の撲滅が確認され、今現在の日本では無縁となってしまったが、その昔は怖い病気だったのよね。


伊東玄朴(いとうげんぼく)の旧宅
佐賀県神埼市神埼町的1675

神埼市教育委員会 社会教育課
0952-44-2296
開館日については教育委員会にお問い合わせください。

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【佐賀】山の神、農業の神を祀る仁比山神社(にいやまじんじゃ)

九年庵(くねんあん)を出ると仁比山神社(にいやまじんじゃ)へと繋がる。
まず最初に出迎えてくれるのが樹齢約800年の大樟。平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて植えられたものだ。長い年月この地を見守っているクスノキからは強い生命のパワーを感じることができる。

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このクスノキのほかに境内には樹齢600年のものもあるらしいが気がつかなかった(^^;;
あと、近くの白角折神社(おしとりじんじゃ)には樹齢1000年以上のクスノキもあるらしい。白角折神社は日本武尊を御祭神として祀ってあり機会があればぜひ一度足を運んでみたい。


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鳥居から見える紅葉がきれい。これはこの時期ならではなのでしっかりと目に焼き付けた。


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仁比山神社(山王さん)と杜
仁比山神社境内には蒼然たる老木、古木の大樹、針葉、広葉常緑樹、落葉樹等多種の樹木が繁り境内幽雅にして四季の風光に富み、境内は右に左に曲がり百余段の石段を登り、一歩一歩と神前へと近づくことで身を清め、一たな清き心で俗界の邪念を一掃し、神前に健康を感謝し、素直な心で手を合せ、家内安全、交通安全、病気平癒、或いは五穀豊穣と健康を念じられるのが仁比山神社です。
社殿の裏より湧く清水は病弱な人には特に神威があります。
境内の樹木は生成の中で四季を通し光合成を行い、酸素を地上に供給し殺菌作用と人体に生気と活力をもたらす『フィトンチッド』を放出しています。(発散されるテルペン物質)
春の若葉、夏の青葉、秋の紅葉は美しく気持ちが落ち着くものです。秋から冬にかけての落葉の香りはチッ素、リン酸、カリ等の栄養分の存在を示しフィトンチッドを足もとより浴びることで昔から身体に良いと言われています。
紅葉狩りは夏バテの回復法で古人の知恵ともいえます。
ストレスによる半健康状態の人、体調のすぐれない人、或いは健康な人達でも、神前で健康への感謝の祈願の手を合せ、境内を散策してフィトンチッドを体内に取り入れ、血液の浄化を刺激することで、ストレスも解消し脳をリフレッシュさせ、香ばしい空気を吸い吹く風の音に身をまかせ、小鳥や虫の音に耳を傾けせれるのが、この仁比山神社の杜であります。
現在、地球的規模で緑の危機が叫ばれていますが、原因を作り、悲鳴を上げ苦しむのは我々人間です。
これ以上の破壊は人類、生物の滅亡です。みんなで緑を守り、杜を育成し、四季を楽しみ愛しましょう。


仁比山神社(山王日吉宮) 旧県社
鎮座地 佐賀県神埼市神埼町的一六九二 仁比山 
御祭神 大山咋命 日本武尊
創建 天平元年(聖武天皇) 729年この地に殿字を建て都の松尾大社の御文霊を祀り国家安泰、五穀豊穣の勅願所として松尾明神を祀るを創始としする。その後承和11年(844年) 慈覚大師唐より帰朝の際、国家安泰の祈願の為神水を得る時、土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奉上す 時の仁明天皇 比叡の神威を感じ勅命を以って江州坂本日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とする この地を仁明天皇の仁と比叡山の比山とで仁比山という。


式年大祭、大御田祭、御田舞
宮中での田楽を平安時代に伝えられたと思われる申年の4月初申より中申までの13日間執り行われる式年大祭を大御田祭という。鎌倉幕府までは勅使下向し勢大に執り行われていたが、以後肥前、筑前、筑後の三ヶ国の国造が交代でやる。藩政時代鍋島藩主 神殿、拝殿その他奉寄進し保護される。大祭中神事として奉納される御田舞は慣習と伝統を守り現在まだ口伝として伝えられています。舞台二ヶ所、柱大きさ、数、床板の厚さ、床の高さ、階段、役者の員数年齢、役者決め、稽古始めなど総て慣習を守り引継いでいます。
歌、舞は期限を過ぎたら一切やりません。門外不出です。昭和27年国の無形文化財指定されるが29年文化財改正により解除。現在佐賀県重要無形文化財第一号に指定されています。(現地案内板より)


仁比山神社(山王日吉宮) 旧県社
御祭神 大山咋命 鴨玉依姫神
    日本武尊 合祀社祭神二十余神

御創建729年天平元年、行基菩薩聖武天皇勅願を承り殿狽建立し、松尾明神を勧請し宝祢無窮國土豊饒の御祈願の宣をせられたるを創始とする。
844年承和11年仁明天皇勅命を以て、江州坂本日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所となす。
当社殿は度々の政変にて焼失するも当藩祖鍋島直茂公、勝茂公により再建され明治3年修理田元忠寺日吉宮を、又明治44年まで村内の格式高き白角折社を始め無格社を合祀し仁比山神社となる。当社は中世は医薬の神、古くは農の神、酒の神として崇め敬まれ、毎申年の4月初申より中申まで執行される。
大御田祭は我が国唯一の古式に従った格式高き神事である。
期間中は参拝者が多く石堂口まで行幸あり。
総勢300名余の大行列である。社務所に由来書があります。(現地案内板より)



奈良時代、729年に創建された古い神社です。
境内は木々が生い茂り、空気が気持ちいい。木からもらうパワーで身が清められます。


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山王さんと猿
当神社にはお猿さんが多く有ります。お猿さんは山王さんのお使いです。
お猿さんは山では知恵多く、子供を大事に致します。猿社界はきびしく統一され、猿は縁に通じ『エンギ』又猿田彦神が天の神を最初にお迎えし案内致しました。これに習い交通安全、厄除、開運、安産、日晴として参拝が多い。(現地案内板より)



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松尾宮(酒の神様)
御祭神 大山咋命 中津島姫命

由緒
古来より聖地として崇められた此の地に天平元年(729年)最初に神殿を建立し松尾明神を勧請し聖武天皇の勅願により國土北条 国家安泰を祈願されたのを起源とする。

神話伝説
御祭神大山咋命或る日お猿が穀物を『カミ』砕き木の穴(ホコラ)に入れているのを見られた。後日良き香が漂い、又、お猿が口にしているのを不思議に思い命自身が飲まれた所おいしく気持ちがよいと、自分で造られたと言う。(醸造酒の始めと言われ、酒の神様となりました)
昔は社でも猿酒として造られ領布されていた。(現地案内板より)


夫が長い間手をあわせていましたw
猿からはじまったお酒。猿がいっぱいいる仁比山神社ならではの話ですよね。



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神埼市重要文化財(建造物)
地蔵院 六地蔵塔 一基

地蔵院は、天平元年(729年) 聖武天皇の勅願により草創されたと言われる仁比山護国寺三十六坊の塔頭・不動院の子院です。
六地蔵信仰は、六道における死後の救済を求めて、中世以降に流行しました。
地蔵院の六地蔵塔は、下から竿石・中台・尊像・笠・宝珠の五部分が完備しており、竿石の四面に銘が刻まれています。銘文から、護国寺三十六坊の一つと考えられる賽淋坊の僧侶澄覚が願主となり、逆修(死後の冥福を祈る)を目的に建立されたことがわかります。
制作年代がわかる六地蔵塔としては、市内では古いものであり、県内の中世の六地蔵塔の中でも良好な保存状況で、神埼市の六地蔵塔を代表する貴重な石造物です。(現地案内板より)


地蔵院に千手千眼観音像が安置されています。運がいいことに特別公開中で観音様を拝むことができました。やさしいお顔した観音様を見ていると心がすごく軽くなりました。心が洗われたと表現したほうがいいのかな。拝む前と拝んだ後と自分の体が変わっていた。

千手というのは千本の手があるのではなく、観音様のひとつの手が4本の手になります。
扉は全開ではなく観音様のお顔が見えるだけしか開いておらず、横から観音様の手を見ることができます。それがまたすごく神秘的で心に伝わるものがあり、ありがたい体験をすることができました。おかげで夫も私もすがすがしい気持ちで帰宅の途につきました。


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薬師如来
病気平ゆをお願いする仏様です。

眞言
おんころころ せんだり まとうき そわか



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水掛福徳地蔵尊縁起
作図 宇佐八幡権宮司 河野鉄憲
彫刻師 広田善三郎

今からおよそ『400年前』今の博多区に信仰の厚い一人の女性の方がおられ、ある日夢枕にお地蔵様がお立ちになり土の中より地蔵菩薩の頭を掘り出すようにお告げをいただかれさっそく土の中より掘り出しお祭りをされたところ、それから霊感を受けるようになり、まわりの人々の信仰も次第に集まりお地蔵様の前には七色菓子、線香、ローソクの火が絶える事なく光り伝えられました。
『30年前』更に地蔵菩薩のお告げがあり、頭だけでは力不足と宇佐八幡宮に行き相談させとの御指示を受け、それを素直な気持で実行され宇佐八幡の河野鉄憲権宮司氏に図面を依頼し石材等も御指示通りにし、彫刻師は広田師の手に依り完成されました。
福岡中央区平尾の八尋家の庭を借り祭られる事となり、福徳円満、相伴繁昌、諸願成就の願いを多大の人々が宝珠によって授かり幸せをいただかれたとの由。
現在は平尾周辺は福岡の一等地として空高くビルの建ち並ぶ所となり、お地蔵様を見下げる環境となりました。八尋家の方々、信者の方々がこれではお地蔵様に申し分けないと気をもまれ昭和63年12月吉日 当地蔵院に御座所を移されることとなり、福徳円満、商売繁昌のお地蔵様として、いく久しく祭られる事ななりました。
縁日は、4日、14日、24日です。
地蔵菩薩の眞言
おん かか かびさまえい そわか



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休石
大御田祭の際、行列を整えるために神輿を安置する石



これは地蔵院から帰る途中でみつけたもの。
ちょっと離れており、ズームで撮って帰ってきてから見たらすごい石とわかりびっくり!
大御田祭は歴史のあるもの、神輿を安置する石も立派です。



仁比山神社(にいやまじんじゃ)
佐賀県神埼市神埼町的1692
TEL 0952-53-0340


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【佐賀】毎年、紅葉の時期に9日間公開・伊丹弥太郎の九年庵(くねんあん)

佐賀の九年庵(くねんあん)に行ってきました。
ここは佐賀の実業家・伊丹弥太郎さんが9年の歳月をかけて築いた別荘と庭園。紅葉と苔が美しく、毎年紅葉の季節に9日間一般公開されます。今年2011年は11月15日から23日まで公開。

私はバスツアーで行ってきました。正解でしたね(^^)
ツアーの場合、仁比山公園駐車場で乗り降りなのでとても便利です。マイカーの場合、近くに駐車場がありますが大変混みあいます。シャトルバスも出ていますので事前に確認してからお出かけください。

神埼市商工観光課
TEL0952-37-0107

来場者が多い場合は入場制限があります。一般の場合はかなり並ぶことになりますが、ツアーの場合はツアー専用のところに並ぶので若干早く見れるみたい・・・


九年庵(くねんあん)

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愛逢橋(あいあいばし)
名前の由来
二十一世紀は、豊かな心と感性の時代といわれています。人を愛し、自然を愛することを基本理念として神埼町のまちづくりをすすめております。人と人とが手を取り合い、支えあいながら、みんなで未来をつくります。
橋は木と木で支えあう(トラス工法)日本初の木橋です。

名前の由来は、城原川の両岸には、仁比山神社(にいやまじんじゃ)と八天神社(はってんじんじゃ)が鎮座し、両社には縁結びのご利益があり、これを結ぶこの橋を渡れば、縁が結ばれ、愛を育むことができるという縁起のよう『愛のかけ橋』になり、そして、この橋が末長く愛され、全国から縁起を求めて多くの方々が訪れてくださいるよう願いを込め命名いたしました。(現地案内板より)


愛逢橋(あいあいばし)って命名がいいですよね〜
でも、名前のことを気がつかないのがほとんどの人がどんどん足をすすめます。まぁ、この時期人が多いので仕方ないかな。


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佐賀県遺産 仁比山神社の仁王門
仁王門は、仁比山神社参道の入口に位置しているが、本来この地にあった仁比山護国寺の山門であったと考えられる仁比山護国寺は、寺院由緒書きによると天平元年(729) 聖武天皇の勅願によって、僧行基(ぎょうぎ)が草創したといわれている。
門に向かって右に阿形、左に吽形の仁王像が安置されている。仁比山神社は山の神・農業の神として祭られており、十二年に一度申年に大祭『御田舞』が奉納される。(佐賀県遺産会議・現地案内板より)


仏教は7世紀以降、国家の安泰を祈り、国家の護持を期待する対象となり、外来の信仰で有ることを知りながらも国家行事のなかに仏教行事が取り入られるようになり、日本社会に仏教が定着していった。8世紀前半の聖武天皇の時代は、こうした仏教への依存が国家政策として極端にみられるようになった。国家が仏教を国を護るための術として、また僧侶を寺院のなかで国家のために奉仕する存在として位置づけた。しかし、行基は人々を救うために全国各地をまわって、教えを説いたり、ため池を作ったり、用水路を作ったり、病人の看病をしたりした。当時国の許可を得ていないお坊さんは私度僧(しどそう)といって罪人として扱われた。行基も初めは国から弾圧を受けたが、人気が高かったので朝廷も彼の力を利用しようとして、大仏建立に手を貸すように命じた。この功績により東大寺の『四聖』の一人に数えられている。

その行基が造ったお寺があったところとは・・・ 私としては出会えて感慨深いものがあります。


仁比山神社の仁王像
仁比山神社は天平元年松尾神社を勧請したことに始まり、承和十年比叡山日吉山王社を分礼して合祀したと伝えられ古社です。神宮寺である仁比山護国寺は、千手観音を本尊とし、往時には三十六の僧坊がありました。
この仁王像は、左に阿形・右に吽形の二躯一対です。
鎌倉時代の作で、樟材の一木造りで、彫眼彩色を施しています。阿形は、像高305.2cm、吽形は、像高311.2cmで、全体に動きの少ない直立した姿勢をとっています。二体ともに後補の補修が多く見られる。面貌の硬い表情は鎌倉時代後期の特徴を持っているが、構造や体勢、太い縄状の腰帯、裳大腿部の浅く線的に整えられた衣文は古様をあらわしており、製作年代は平安時代までさかのぼる可能性があります。県下でも最大規模の最古の仁王像として非常に重要です。(神埼市教育委員会・現地案内板より)


仁王像・大門(仁王門) 普請の御寄進願い
仁王像は江戸時代に他地区(場所不明)に鎮座していたのを奉納されたと伝えられています。仁王様は永井年月、雨風に耐え、人々を見守り、子育ての伝説などもいろいろとあり親しんできました。
この大きな力強い像は、県下はもとより、近県にもない立派な仁王様と断言しても過言ではないと思います。
しかし、昨今は皆様のご承知のとおり、痛みが激しく早期修理を要します。
諸々の人達より『専門家(文化財修理)による修理が最適』と御助言を頂きました。
有志の方々と相談し準備を進めていますが、修理費、養成費、運賃又は、一部解体普請と多大の費用を要します。このような文化財を後世に残し守るのは、私たちに課せられた責務と考えます。
何卒皆様方の温かなご理解を頂き、御協力下さいますようお願い申し上げます。
ご寄進御協力の方は仁比山神社までお願い致します。(仁比山神社 社務所・現地案内板より)


とても立派な仁王像です。ここもあまり見る人はいません(^^;;
みなさん、目指すは九年庵です。まぁ、それもわかるけどせめてお顔ぐらいは拝んでほしいですね。


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参道は出店がでています。
うどんなどの軽食もありますよ〜 地元の人たちがやっているのでほのぼのとしています。


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九年庵
すごい人です。苔を踏まないように足場ができており、それに沿って歩いていきます。日曜日ということもあり人、人、人で紅葉の美しさ、手入れされた苔は楽しめましたが情緒までは・・・
いつか平日の朝イチでいきたいな。ここはひとりのんびりと散策してみたいです。でも9日間だけの特別公開だからむつかしいだろうな〜


九年庵について
神埼町の北端、仁比山神社仁王門をくぐり抜け、坂の参道を上りつめると、その左手には緑の生け垣に囲まれた風雅な葦葺の屋根が見えます。そこが旧伊丹家邸宅、通称九年庵です。この邸宅は、歴史的な由緒を持つのみならず、県内の庭園の中でも特に類例のない特色を有する、佐賀県を代表する文化的財産といえるでしょう。四季それぞれに美しさがあり、また庭一面に広がるコケはまるでジュウタンを敷き詰めたかのように錯覚してしまいます。
この九年庵は平成7年2月国の名勝に指定を受けました。

九年庵の名前の由来
元来『九年庵』とは現邸宅の西北端に建てられた14坪の茶室(現在は解体)のことを指し、又『九年』とはこの庭園が9年の歳月を費やして築造されたことに由来するものです。

九年庵の概要
【総面積】 
約28,000u(うち山林22,000u)
庭園6,800u 建坪320u(97坪) 

【持主】
佐賀市の大実業家・伊丹弥太郎が明治25年から巨額な経費と多年の歳月を費やして完成させました。その後、昭和57年に倉田氏から県が土地を購入し、建物については同氏から県に寄贈されました。

邸宅
入母屋葦葺の屋根に杉腰張りの土壁、竹格子の連小窓や真竹を用いた周りの濡縁など、野趣に富む外観を持ち、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加えられた茶室と書院の様式を折衷した近世和室の数奇屋建築です。

庭園
当時の九州で茶室や築庭について並ぶものなしといわれた名人、久留米市寺町誓行寺住職、阿(ほとり)和尚が彼の築庭の理論であるところの『自然をあるがままの姿で活かし、水の有るところ、水を使う』茶道の奥義をその心として、庭木、庭石の一つ一つを吟味し、納得いくまで組替えを命じ完成させました。
面積は6,800uあり、深い木立の周辺の景観とよく調和し、はるかに筑紫野の広がりと有明海が眺望できるすばらしい借景庭園です。



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阿和尚さんがひとつひとつ吟味して選んだ石。
苔と石の美しさ。これは日本庭園ならでは。こういう美を肉眼でみれるのはありがいですね。


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客間・次の間の柱
客間・次の間の柱は、南・西面のみを、糸面取り角柱が台形礎石の切込みに嵌め込まれた土台を挟んで建っています。
柱材は主として栂(つが)です。
敷居、鴨居をつけ、天井裏で桁を受けています。
桁上に梁を置く京呂組みとなっています。
表玄関を入った四畳と、次の間、客間のみ檜の面皮長押を廻していますが、客間の北側にはありません。
建物を繋ぐ廊下や直接部屋に出ない外側の柱に、面皮柱を用いていることが、数寄屋建築の特色を示しています。

天井
客間・次の間の割竹の網代天井、床の間は鏡天井、その東側の約一畳分は皮付き小枝天井となっています。
網代天井は、女竹と男竹を対になるように作られており、客間の編み目が、次の間の編み目よりも大きくなっています。
床の間の鏡天井は、当時は経費で百万円(米1俵が2円)といわれています。
表玄関は葦に皮付き丸疎垂木、木舞付き天井で、上がり框の上部の一畳分程が丸い葦に竹一本の竿縁天井となっています。
四畳の間は、竿縁天井です。
南・西側の竹漏れ縁の上も皮付き丸疎垂木、木舞裏となっています。
さくらの小丸太の垂木が使用されていますが、10年も前から頼んでおかないと手に入らないような厳選された材料です。
仏間南側の廊下の天井と仏間の付け書院の天井には檳榔(びろう)の葉茎が用いられています。

客間
客間は栂柱を主体に、檜の面皮長押を廻らし、佐賀錦のような割竹の網代天井を張っています。
壁は10cmほどの切藁(すさ藁)を意匠的に塗り込めた土壁を用いており、切藁の模様が、数十年を経ていく間に、徐々に透き出ています。
床の間は松の一枚板を床板に、床柱に杉の面皮柱を用い、下地窓(小舞窓)付きの壁をつけています。
本来、い柵などをつくるべき床脇に連子窓(腰高窓)をつけ、平書院とする極めて近世的特色をみせています。
客間と次の間の境は長押上10cm程土壌を設け、天井下にも曲材を用いて土壁をつけた障子なしの欄間となっています。(現地案内版より)


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見上げると色づいた紅葉が、目を落とすとコケに覆われた庭園が目を楽しませてくれた。日本中に紅葉のきれいなところはたくさんあるが、紅葉プラス苔の自然が織りなす芸術はここは最高だろう。
また紅葉を愛でる、苔を愛でる佐賀の旅に行きたいな。


九年庵(くねんあん)
佐賀県神埼市神埼町的1696

詳しくは観光協会へお問い合わせくださいませ
神埼市商工観光課
TEL0952-37-0107


毎年、各地からバスツアーがでます。一般観光よりもはるかに楽なのでおすすめ。
バスツアー

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2010年02月16日

うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

嬉野 陶彩館(とうさいかん)で食事をしたあとは、嬉野町平野不動山入口にあるうれしのお茶ちゃ村(三根製茶)の工場見学。
バスツアーに工場見学はつきものですね。まぁ、それなりに楽しみもあるのでイヤじゃありませんが。


うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

坂本龍馬の話です! 今年は龍馬ですね。やはり・・・

大浦慶(おおうら けい) 1828〜1884
お慶さんは1828年(文政11)、長崎市油屋町の旧家に生まれる。
家は代々油を売る商売をしていたが、幕末の動乱の中で家業は傾き、慶は大浦家再興に尽くそうとした。
慶は日本茶(嬉野茶)を初めて世界に輸出。茶の取り引きはイギリスの貿易商人ウィリアム・オールトとの間で行われました。当初、オールトからの発注を受けて、慶は1万斤(6トン)もの嬉野茶を手配し、アメリカへ輸出。これが日本茶輸出貿易の先駆けとなった。その後嬉野茶はイギリスやアラビアにも輸出されるようになり、慶は30代にして茶貿易商として莫大な富みを得ました。
得た財力を坂本龍馬を始め封幕の志士達へ資金や自宅をアジトとして提供し彼らが明治政府を造りあげる大きな力となりました。

大浦慶って人のことを知らなかったので勉強になりました。
大浦慶と嬉野茶がなかったら、龍馬たちはどうなっていたんだろう? 歴史がかわっていたかもね。


うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

水出し煎茶 冷たいぞと

今では水出しって当たり前ですが、今から約40年前に三根製茶工場が開発。世界初で、水出し煎茶の元祖です。
水で出すことによって、血糖値の上昇を抑制する働きのあるポリサッカライドが多く抽出され効果があります。
血糖値が気になる方は飲んでみては。

試飲しましたが、飲みやすかったです。寒かったのでこの時季はあまり向かないかなぁ。


うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜


極上のお茶です。バタバタした状態で飲んでも極上かどうかわからず・・・ 折角出してもらったのにスミマセン。

【お茶の6つの効能】
1、お茶はガンを予防
お茶の主成分「茶カテキン」が発がんをおさえます。

2、お茶に老化をおさえる効果が
老化の原因となる過酸化脂質。それをおさえるカロチン、ビタミンC、ビタミンEを豊富に含んでいる。

3、コルステロールを低下させる
動脈硬化や狭心症、脳卒中をまぬくと言われるコレステロール。
茶カテキンは、この悪玉コレステロールをおさえる性質を持っている。

4、お茶は糖尿病を予防
水出しお茶の中に多く含まれるポリサッカライドが糖尿病を予防

5、お茶には血圧降下作用と血糖降下作用がある
茶カテキンには血圧を上げる酸素(アンジオテンシン)の働きをおさえる。
唾液アミラーゼの働きをおさえブドウ糖も減らし、血糖値を低下させる。

6、お茶の抗菌作用が食中毒や病気を予防
茶カテキンには食中毒をひき起こすO-157菌にボツリヌス菌、陽炎ビブリオ菌、ウォルシュ菌に対する抗菌性があり、毒素を無力する抗毒作用もあります。またうがい薬として使うことでウイルスの感染が防げます。


うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)・工場見学 〜坂本龍馬と大浦慶〜

売店では嬉野茶をはじめ、うれしの紅茶や嬉野茶を使ったお菓子類、嬉野茶そば、嬉野茶シャンプー&ボディーソープ、嬉野抹茶ソフトクリームなどいろいろと揃っています。

抹茶ソフトクリームは工場挽きたての抹茶をふんだんに使っており甘さひかえめで抹茶特有のコクがあります。人気なので是非ご賞味あり。



うれしのお茶ちゃ村(三根製茶)
佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内乙 3537
嬉野町平野不動山入口
TEL 0954-43-1188
営業時間 8:30〜18:00
定休日 無休
トイレ有り


阪急交通社のバスツアー 2010 長崎ランタンフェスティバル

2010年2月14日、阪急交通社のバスツアー 「今年は「龍馬伝館」に行きます!長崎ランタンフェスティバル 日帰り」に参加しました。




応募期間 2010年2月1日〜2010年3月31日
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嬉野 陶彩館(とうさいかん)のお土産売り場

嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

前ページの続き
嬉野 陶彩館(とうさいかん)の2階で食事したあとは、1階のお土産売り場へ。

佐賀の「銘菓」、玄界灘・有明海の「海産物」など、佐賀を代表する特産物が揃っています。
美味しい嬉野温泉豆腐もあります。宅配で送ることもできます。


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

佐賀といえば、やっぱり「がばいばあちゃん」ですね。
いろいろなお菓子が揃っていました。


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場


嬉野茶も売っています。試飲もでき、紅茶が美味しかった。
そして、嬉野茶を使ったお菓子もいっぱい。
生煎餅美味しかった。試食しましたが、もちもち! お茶の風味もいい!
お茶のお菓子は後味がさっぱりなので、どれを食べてもおいしいですね。いろいろと試食しましたぁ〜(笑)


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

佐賀の銘菓・小城羊羹

羊羹は、紀元前から中国で愛好されていた羊肉の羹(あつもの)のことで、日本には鎌倉〜室町時代に伝えられました。
明治時代、小城で砂糖と寒天、餡を練り固めた羊羹を作り、地名を入れ「小城羊羹」と名付けました。
現在、小城には20数軒もの羊羹屋があり、お店によって微妙に固さや甘さが違うようです。

小城羊羹は本州で売られている羊羹とは違い、あっさりしています。
ベタッとした羊羹ではなくサクッとしています。


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

有田焼の器もいっぱいあります。
お地蔵さんの顔がかわいい〜 やさしい顔していて見ているだけでほほえましい。


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

お雛様が近いこともあり、有田焼の素敵なお雛様が並んでいました。
私もひとつかわいいのを購入。まるっこくて愛らしいです。


嬉野 陶彩館(とうさいかん) お土産売り場

うれしの茶の美肌石けん 315円
安いっ! お茶石けんはいろいろと使ったことがありますが315円という安さははじめて。
もちろん購入しました。これめちゃくちゃ売れているそうです。


嬉野 陶彩館(とうさいかん)
佐賀県藤津郡塩田町大字大草野丙9-1
TEL 0954-66-2836
営業時間 8:30〜17:00
定休日 年中無休


阪急交通社のバスツアー 2010 長崎ランタンフェスティバル

2010年2月14日、阪急交通社のバスツアー 「今年は「龍馬伝館」に行きます!長崎ランタンフェスティバル 日帰り」に参加しました。




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長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア
この金立SAは大きく、週末はかなり混んでいます。混雑時には車もスムーズに止めることができないので時間に余裕をもって立ち寄ってくださいね。


長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

長崎自動車道下り線、最後のガソリンスタンドです。
この先ガソリンスタンドがないので、少ない場合は必ず給油してくださいね〜
TEL 0952-98-2892


長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

今年は龍馬ですね。でもここ佐賀なんですが・・・
まぁ、いいか(笑)


長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント


金立SAには、レストラン、フードコート、ベーカリー「バンテルン」などお店もいっぱいあります。
スタバもありますよ〜



長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

毎月第一日曜日は2割引。
2割引って大きいですよね。お土産のお菓子はどこで買っても同じだから第一日曜日ならサービスエリアですね。


長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

九年庵名物の「おふもち」
こしあんを生麩の生地に包んだおまんじゅうです。柔らかいお麩の食感がいいですね。トロッと口の中で溶けるような感じで・・・
試食だけして買わなかったけど。だってこれから長崎ランタンフェスティバルに行くのにここでお土産を買っていたら荷物になってしまう。


長崎自動車道・金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)が最後の給油ポイント

復刻堂自販機
レトロ感あふれています。


金立(きんりゅう)サービスエリア(下り線)
インフォメーション
平日8:00〜17:00 土・日・祝日7:00〜17:00
TEL 0952-98-2818


阪急交通社のバスツアー 2010 長崎ランタンフェスティバル

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2008年08月30日

金立サービスエリアの長崎角煮まんじゅう(通称角煮まん)を食べる!

金立サービスエリア


呼子の河太郎でおいしいいか活き作りを食べ、イカの一夜干しやいかの塩辛を買い、風の見える丘公園ですばらしい景色を見て、大満足の呼子でした(o^-^o)


さぁ、呼子を後に我が家に向かって走ります。
長崎自動車道を気持ちよく飛ばしていると長女が金立(きんりゅう)サービスエリアに寄りたい!と・・・
なんでも、以前金立サービスエリアで食べた塩ソフトクリームがおいしかったらしく食べたいと張り切っています。


金立サービスエリア


あらあら、塩ソフトクリームはもう販売していないそうで・・・

ブルベリーのソフトクリームに!
ここらへんが長女のすごいところです。
塩ソフトクリームを目当てに来たのに、なかったのですぐに気持ちを切り替えブルベリーにするあたり長女らしいです。

ブルベリーがあっさりしているので、バニラが口に残らず後味すっきりのソフトクリームです。
おいしかったぁ〜


金立サービスエリアの長崎角煮まんじゅう(通称角煮まん)


長崎角煮まんじゅう(通称角煮まん)です。
近頃、どこのサービスエリアでもみかけるので一度食べてみたかった。

長崎名物卓袱料理の一つ、豚の角煮をつかった角煮まんじゅう。脂のとろける角煮を中華まんの生地で挟んでいます。


金立サービスエリアの長崎角煮まんじゅう(通称角煮まん)


正直、いまいちだった。
こんなもんなのかなぁ?
味覚は人それぞれなので、これはあくまでも私個人の感想なんだけど・・・
長崎の角煮って好きだけど、私が食べたことがあるのはもっと味がしっかりついていてこってりしていた。

この角煮まんじゅうはいまいち味が薄いんだよね。
味がよくしみ込んでいるけど、ちょっと薄い。それが中華まんの生地といっしょに食べることによってさらに薄く感じる。
豚肉はトロトロなんだけど・・・


旨い、豚の角煮が食べたくなった!

金立(きんりゅう)サービスエリア・上り
インフォメーション (平日9:00〜18:00 土・日・祝日9:00〜19:00)
電話番号:0952-98-2396
posted by 夢子 at 13:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 【佐賀】観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生しぼり 甘夏じゅうすはその場で甘夏を絞ってくれます♪


甘夏ジュース 甘夏ジュース


風の見える丘公園にあるお土産屋さんです。

生しぼり 甘夏じゅうす

気になりますぅぅぅ〜
果物は大好きで毎日食べていますが、甘夏はめったに食べない。
すっぱいイメージが強いので買うことはないんですが、こういうところに来ると飲んでみたいなります。


甘夏ジュース

甘夏ジュース


甘夏じゅうすください〜

と言うと、おばちゃんがその場で甘夏をギュ〜ギュ〜と絞ってくれます。
甘夏だけ、他に入れるのは氷だけです。
100%甘夏、絞りたての甘夏ジュースです。

すっぱ〜い。
でも顔をしかめるようなすっぱさではなく程よいすっぱさです。
あっさりしておいしいです。

甘夏は、島ででたものをそのまま使っていますが、お店で売っているようなきれいな甘夏じゃありません。
自然そのものの甘夏です。ゴツゴツで、色もよくない。
でも、これが本来の甘夏なんだよね。私がいつも買っているきれいな果物は、きれいにするためにワックスをかけたりしているし・・・
農薬を使ってない果物のジュースを飲むことができてよかったぁ。


呼子大橋 (ヨブコオオハシ)
佐賀県唐津市大字殿ノ浦加部島



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呼子本土と加部島をつなぐ美しい橋「呼子大橋」
posted by 夢子 at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 【佐賀】観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

呼子本土と加部島をつなぐ美しい橋「呼子大橋」

呼子大橋


朝市、いかで有名な呼子と加部島を呼子大橋

平成元年に開通。ハープ形式のPC(プレストコンクリート)斜張橋としては日本で最大。全長728m。


呼子大橋


遊歩道(弁天遊歩道)があり、遊歩道を歩けば潮風が心地よく気分爽快♪
干潮時には磯遊びもできます。


呼子大橋


ハーブを並べたような美しい橋です。
景色もよく、気持ちよく橋の上を走りました。


呼子大橋


風の見える丘公園です。
ここからの眺めが最高です。
どこから見ても、本当に美しい風景が見れます。


呼子大橋


白い風車は実際に発電しており、夜間のライトアップに利用しています。


呼子大橋


呼子大橋


風の見える丘公園はこれっていったものは何もありません。
丘の上にあるだけ。
でもねぇ〜 それで十分です。風景がめちゃくちゃきれいですからね。
右を向いても、左も向いても、後を向いても。
・・・どこを見ても美しいです。


加部島は、都会に住んでいる人からみれば不便なこともいっぱいあると思う。
でも自然が残っています。
のどかな光景があちこちにあります。
便利にならなくてもいいから、いつまでも美しい風景を残してほしい。


呼子大橋 (ヨブコオオハシ)
佐賀県唐津市大字殿ノ浦加部島



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posted by 夢子 at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 【佐賀】観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

呼子の屋台で一夜干しやイカの塩からをまとめ買い!

呼子 いか


呼子(よぶこ)は風光明媚な港町です。
古きよき時代が残っており、呼子の町を歩いていると子どものころを思い出しホッとします。

港にはイカ釣り漁船が並んでいます。
漁師さんのおかげで、おいしいいか活造り食べれます。感謝、感謝です。ありがとうございます。


呼子 いか


いかの一夜干しです。
グルグルまわっています。この遠心力はすごい。


呼子 いか


最初、車でこの前を通った時はドラエモンも回っていたんですが・・・
写真を撮りたくて、ドラエモンのところまで行ったのに休憩中でした(泣)


呼子 いか


いかがいっぱいです。


呼子 いか


呼子 いか


あちこちでイカや干物が干してあります。
見ているとどれも同じようなんだけど、屋台のおばちゃんの個性がおもしくて・・・
屋台のおばちゃんたちもみんな高齢です。腰がまがっている人もいる。
きっと、後継者なんていないんでしょうね。
このままいったら、呼子の屋台ってどうなるんだろう?


呼子 いか

呼子 いか 呼子 いか


いっぱい買ってきました。
屋台で買い物をするときは、ひとつのお店でまとめて買うとかなりおまけしてくれますよ。

最初、一夜干しを注文し、いかの塩からを迷っていた。
その間にあじの開きも注文したんだけど、イカかあじの枚数がおまけで増えていき・・・
いかの塩からもまとめて買いました。
そしたら、金額もおまけしてくれて・・・ありがとうございます。


いかの一夜干しは柔らかくておいしい。焼く時間のほうが長くて食べるのは一瞬です(笑)


河太郎でめちゃくちゃ旨いいか活造りを食べ、屋台で安くておいしい一夜干しをいっぱい買って、最高の一日でしたぁ。


唐津観光協会
posted by 夢子 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 【佐賀】観光地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする