2012年12月04日

由布院散策 新しいお店がいっぱい(^○^)

由布院

旅宿 ゆふいん 誰が袖(たがそで)で癒されたあとは由布院散策へ。


由布院については2007年に詳しく書きましたので今回は簡単に。
特急ゆふいんの森1号 (博多〜由布院)


前回は福岡からJRに乗っていきましたが今回は熊本から車で。金鱗湖近くの駐車場に車を止め街中を散策しました。


由布院

タイミング良く? 悪く? 雨がぽつぽつ落ちてきたのでカフェへ。

暖炉に火が入っている〜 これを見るだけで心も体も温かくなる(^○^)
コーヒーを飲むためにお店に入ったけど、暖炉を見たらココアって気分になった。暖炉ってドリンクも変えてしまう大きな力があるね。


由布院

由布院

かわいいお店発見♪

これいつ出来たのかな? 前回来た時はなかったのでこの出会いはうれしかったですね。

由布院の街中はお土産屋さんばかり。でも、真新しいものに出会うとテンション上がるからいい! お店は由布院とはまったく関係のないものばかりなんだけど、かわいいものがいっぱいあり買ってしまったよ。私も友人も(笑)


由布院

朝はちょっとお天気がいまいちだったけど・・・ 時間とともに青空が広がり。でも風は冷たく。そこが冬の由布院の良さだよね。凛とした空気が流れる中、こっちのお店、あっちのお店と歩くのが楽しい(^○^)


由布院


こんなものまであった(@_@;) 醤油プリン、食べてみたかったけど、これをここで買ってわざわざ熊本まで持ち帰るのも面倒でやめてしまったけど、どんな味なのか気のなる。。。

由布院温泉観光協会(公式サイト)

由布院にたくさんのくまモンがいた。よく働くな〜 くまモンはexclamation×2







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2012年06月11日

マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)







大分県津久見市の四浦半島沖の豊後水道に浮かぶ保戸島(ほとじま)

今回保戸島に行くまで、大分県にこんな島があるなんてまったく知らなかった。たまたま九州産交のバスツアーで知り、どんな島か自分の目で見てみたかったし、生マグロも食べたくて行ってきた。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

津久見港(つくみこう)
瀬戸内海への入口にあたる豊後水道に面する津久見湾西側の奥部に位置する天然の良港。
明治以降、埋蔵量37億トンと推定される石灰石と石灰石を主原料とするセメント製品の積み出しを主体に東九州屈指の工業港として伸びてきた。津久見港からの石灰石の移出は、日本全国の港湾移出量の4割を占め、セメントの輸出は、日本の総輸出量の4割にあたる。


津久見市がセメント町なんて全然知らなかったけど、個人的には大友宗麟のお墓がありびっくり。まぁ、冷静に考えれば臼杵城(うすきじょう)が近くのでここにあってもおかしくないんだけど。
自宅に戻り、ググッてくると津久見市上宮本町の響流山長泉寺に位牌もあるとのこと。まぁ、これは個人的に見せてもらえないとと思うが・・・
現在のお墓は昭和52(1977)年に当時の大分市長・上田保氏によってキリスト教式の墓として建てられたものである。
ツアーでなければ宗麟のお墓まで足を伸ばしたのになぁ〜


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

津久見港(つくみこう)から定期船で25分

なんか、離島に住んでいると聞くと不便な生活をしているだろう〜って勝手思いこんでしまうが、食事したところの若女将曰く、『買い物に行くのに普通はバスや電車で行くところを私たち島民は船で行くだけで、あとはそれほど不便じゃありませんよ』と言った話してくれたことが印象的だ。たしかに船に乗って25分で津久見市内に着くわけだから。


地中海の漁港を思わせる風景・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

地中海の漁港を思わせる風景・保戸島(ほとじま)

最初このフレーズを聞いた時に地中海?ってちょっと衝撃。
地中海に行ったことがないので比べることができないが、ここは日本の、大分の地中海ですexclamation×2


保戸島は津久見港から北東約14kmに位置し、島の大きさは周囲約4km、面積0.86ku。人口は約1,400人。
明治中頃に始まったマグロ漁業は現在も続いており、マグロの遠洋漁業の基地として日本各地でマグロを水揚げしています。
島は平地が少なく、海岸に迫る急な斜面に3階、4階建ての住居がひしめくように建ち並んでおり、その風景は地中海の漁港を思わせる景観です。保戸島集落は『未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選』に選定されている。



マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

保戸島に到着。25分の船旅なのであっという間に着きます。
天気がよかったので潮風が気持ちよかったあ〜


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

保戸島の車といえばリアカー。
なんか漁村らしい風景でいいな〜


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

保戸島は平地が少ないので住宅がひしめていおり、道はどこもこんな感じ。
これが公道か私道か区別つかず・・・ 階段ばかりなんだけど島のお年寄りは元気に歩いていた。ここは足腰が丈夫じゃないと住めないな〜


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

ちょっと歩くだけで高低差が。家の建て方なんてめちゃくちゃ。隣との境界線なんてあってないものだろうな、ここは。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

住宅の後ろにお墓が立ち並んでいる。まさにお墓と家との融合だね。
お墓はどれも立派なものばかりで、この島の人たちがご先祖様を大切にしているのがよくわかる。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

景行天皇の腰掛石
第12代・景行天皇がクマソ征伐で九州に来た時にここ保戸島に立ち寄られた。当時はこの石のあたりまで潮が来ており、現在は埋立地となりこの石も小さく見えるがかつてはこの小さな石も巨大な石であった。ここに景行天皇が腰を掛けられた。

保戸島の由来
津久見から佐伯にかけての海部郡を、昔は『穂門郷(ほとのごう)』と呼んでいた。景行天皇がこの港に船を泊めた時、海底の海藻がとても美しく、『最勝海藻(ほつめ)を取れ』と言われた。『ほつめ』が『ほと』という音に変わり、現在、保戸島の名に残ったと言われている。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

にしきの通り
ここにスター・にしきのあきらも来たことがあるそうです。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

島の中にはネコがいっぱい。あちこちで見かけました。魚が多いからネコが多い?
私たち観光客がそばを通ってもおとなしくて・・・ ここに住んでいるとネコも穏やかに育つんだろうな。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

島にあるお店屋さん
店頭に野菜が並べてあるけど、お店の人はおらず。これも島ならでは生活だよね。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)   マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

海徳寺
ここからの見晴らしがいい。目がよければ14km離れた津久見のセメント工場の煙が見えます。
この海徳寺には保戸島空襲で奪われた127名の遺骨が納められた地蔵様があります。
※保戸島空襲については一番最後に詳しく記載しています。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

この鳥居の前で奥にある賀茂神社に向かって拍手を打つと島全体にこだまするんだって!
ツアーなのでここまで行くことができず(T_T) やってみたかったなぁ〜


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

漁業通信速報
まぐろ船の漁の状況が貼りだされています。操業中、南下中、帰港中とそれぞれです。


マグロ漁業の町・大分県津久見市保戸島(ほとじま)

大きなエイが泳いでいます。
エイなんて水族館でしか見たことがない人ばかりなので、みんなで大盛り上がり♪


小さな小さな島ですが、そこに住む人たちはみんな温かく、私たち観光客をやさしいまなざしで出迎えてくれました。

次のページは生マグロです。 美味しかったですよ〜(●^o^●)

保戸島




1945 保戸島の夏
大分県の保戸島で起こった実話から創作。終戦間際の7月25日に島民127名が亡くなった。小学校が爆撃され犠牲者のほとんどが子どもたちだったのだ。学校と確信しての爆撃だった事実。戦争のおろかさを訴え、心揺さぶる


保戸島空襲(ほとじまくうしゅう)

第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)7月25日午前10時頃、大分県津久見市保戸島に対して行われたアメリカ軍による空襲。

当時の保戸島には豊後水道を通って瀬戸内海へ侵入する連合国軍の潜水艦を阻むため、これを探知する海軍の施設(レーダー受信基地・潜水艦聴音施設・見張り所)が置かれていた。アメリカ軍の攻撃目標はこれらの軍事施設であり小学校爆撃は誤認とされるが、真相は今もって不明である。

本空襲で、空母ランドルフの艦載機であるグラマン戦闘機が投下した3発の爆弾の1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)の西側校舎を直撃し、児童124人、教師2人、・幼児1人が即死、75人の児童が重軽傷を負った。

さらに戦闘機により児童に対し機銃掃射も加えられた。現在、同校体育館入口には慰霊碑が建立され、毎年慰霊祭が執り行われている。

※保戸島小学校、中学校の近くに戦没学徒慰霊碑があります。月命日の25日には小中学生が掃除をし、戦争の悲惨さを風化させないように取り組んでいます。

保戸島小学校
大分県津久見市大字保戸島21-2
TEL 0972-87-2002


つづく
マグロ尽くし! 保戸島の生まぐろ&ひゅうが丼


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2011年03月29日

【大分】サンドイッチ型城下町・杵築(きつき)

杵築城下町
高台にある武家屋敷が谷間の商人の町を挟んだサンドイッチ型城下町。


サンドイッチ型城下町・杵築(きつき)

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杵築城(きつきじょう)を見たあとは、城下町へ。

勘定場の坂(杵築・北台)
緩やかな傾斜と広い階段は、馬や籠かきの歩幅に合うように配慮されたもの。



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坂を上がると一番手前にあるのが、磯矢邸(杵築・北台)
加藤与五右衛門の屋敷跡。かつては、御用屋敷として利用されていました。


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城下町の面影があります。
土壁、石垣が風情を醸し出すというか・・・


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藩校の門(杵築・北台)
杵築藩の藩校「学習館」の門


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能見邸(杵築・北台)
杵築藩主松平家の出身地である三河国能見(現・愛知県)を姓とする能見家の屋敷。
建築様式などから幕末期のものと推測される。

邸内では喫茶コーナーやお土産物品の販売コーナーなどがあります。
今回、時間がなくてお茶する時間がなく残念。ちょっとのぞき見したんですが、お庭が良さそうなの。見れなかったんだけど、雰囲気からして良さそうなのが伝わり・・・


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大原邸(杵築・北台)
松平藩家老を務めた大原家の屋敷。
茅葺屋根をはじめ、長屋門から重厚な玄関構え、優雅な回遊式庭園などこの建物は杵築随一の武家屋敷です。


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酢屋の坂(杵築・北台)
北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ、土塀と石垣の調和がとれた美しい石畳の坂です。凸凹のある“サンドイッチ型”城下町がよくわかるスポットです。




坂の上からの写真です。坂を下って写真を撮ればよかったなぁ〜
せっかく行ったのに惜しいことをした(泣)


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北浜番所


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番所の坂


杵築城下町は大きな町ではないけど、坂があるので歩きがいがありますね。
今回は時間がなく、南台の武家屋敷には行けなかったけど、ゆっくり散策したかったな〜
静かな町で、江戸時代の風情が残るのでタイムスリップした気分になります。



杵築市観光協会 
大分県杵築市大字杵築377番地1(杵築市役所商工観光課内) 
TEL 0978-62-3131
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【大分】杵築城(きつきじょう)

杵築城(きつきじょう)

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杵築城(きつきじょう)
応永元(1394)年に築城され、松平氏入城の際に杵築城となりました。
現在の城は昭和45年に再建されたもので、日本一小さい城とも言われています。


城内には、松平公が使用された甲冑や能見家のかごなど展示されています。
中でも珍しいのが、石田三成の兄・石田正澄着用の冑や浅井長政の二男・万寿丸の鎧もある。


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天守閣からの景色は見事です。
きれいですよ〜 これは一見の価値ありです!




杵築城(きつきじょう)の歴史
大友氏二代親重(ちかしげ)は、建長2(1250)年、鎌倉幕府から、豊後国速見郡武者所として、八坂郷木付荘に封ぜられ、七千石を領し、地名の木付を氏とし、竹ノ尾の高台に築城した。城は、竹ノ尾城と呼ばれたが、いわば木付城の起源といえよう。

ところで、木付氏四代・頼直(よりなお)は、時勢の変遷や港湾の埋没などの理由により、海と断崖に囲まれた、要害堅固の台地(城山)に城を移築することにした。城は応永元(1394)年9月11日に竣工、木付城と称した。

木付城はまたの名を、台山城・臥牛城ともいうが、台山の名は築城台地にちなみ、臥牛は台山の形状が、牛の寝た姿に似ていることに由来する。

また、木付氏十六代・鎮直(しげなお)の時代、木付城は島津義弘の武将、新納武蔵(にいろむさし)守勢の猛攻をうたけたが、天正15(1587)年2月22日、これを撃退した。以来勝山城といわれるようになった。

それから6年後、宗家大友義統(おおともよしむね)は、文禄の役で豊臣秀吉の怒りにふれ大友氏は滅亡する。義統の運に従った木付氏十七代・統直(むねなお)は、帰国の途中、門司の浦で、大友除国の悲運をなげき、自刃入水した。この悲報は、ただちに木付城中の父・鎮直(しげなお)に届き、鎮直夫妻は城内で自害した。文禄2(1593)年6月25日、ここに木付氏十七代、344年間にわたる、統治の幕は閉じた。

文禄3(1594)年、豊後国の太閤検地は終わり、翌年、寺社奉行・前田玄以(まえだげんい)が入部し、2年後には杉原長房(すぎはらながふさ)に代り、杉原氏は木付城を地続きの北方平地へ移すことに着手した。
慶長4(1599)年には細川忠興の所領となり、重臣の松井康之・有吉立行を城代として置いた。寛永9(1632)年、忠興の子・忠利が熊本藩に移封となると、替わって小笠原忠知が入った。その後、正保2年には松平英親(能見氏)が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、杉原氏が手がけた、城の平地移転を完了した。

正徳2(1712)年、三代藩主・松平重休(しげやす)のとき、徳川六代将軍・家宣の朱印状に木付の文字が『杵築』と書き違えられていた。そこで幕府に伺いをたてたのち、木付を杵築と書くことになった。

松平氏は、初代・英親(ひでちか)より十代・親貴(ちかとう)まで、227年間、杵築城主として治藩したが、明治4(1871)年 廃藩となり、ここに木付氏以来622年にわたる、杵築城も姿を消した。


杵築城(きつきじょう)
大分県杵築市杵築16−1
TEL 0978-62-4532


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【大分】臼杵城(うすきじょう)

臼杵城(うすきじょう)

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大分の臼杵城(うすきじょう)に行ってきた。3月27日の桜なんだけど、まだちょっと早かった。そのせいか公園内もそれほど人が多くなく。
多分、4月の第1週の週末はすごい人だろうな。


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古橋口より臼杵城内へ


臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にある中世から近世にかけての平山城跡(海城跡)。大分県指定史跡。戦国時代、大友宗麟(おおともそうりん)により築かれ、江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。


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復元された大門櫓


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畳櫓(たたみやぐら)
畳櫓は、桁行4間(7.92m)、梁行3間(4.44m)の2階建て、入母屋造りの屋根を持つ櫓です。
この櫓は正保年間(1644〜1648年)頃に建てられたのが始まりのようです。
宝暦13(1763)年の大火で焼失しましたが、その再建は明和年間(1764〜1772)頃ではないかと推定されます。
『畳櫓』という名称については、祇園社(現・八坂神社)から見た方角(たつみ)が由来とする説と、中に畳が敷かれていたからという説がありますが、はっきりした由来は不明です。


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天守櫓(てんしゅやぐら)
この場所にはかつて、3層4重(外観3層、内部4階)の天守櫓がありました。最近の発掘調査によって、はじめて天守櫓が造られたのが豊臣秀吉配下の福原直高(ふくはらなおたか)が臼杵城主であった文禄3年〜慶長2(1594〜1597)年ごろである可能性が高くなっています。

その後、稲葉氏により天守櫓が何度か修理された記録があります。このうち明歴元(1655)年の修理は大規模なものであったようで、天守櫓本体だけだけでなく、本丸の北西隅部の付櫓(天守櫓に付属するやや小規模な櫓)がそれぞれ独立的に建てられていたものを、すべて櫓でつなぐように改築されたことが江戸時代の臼杵城絵図と発掘調査の成果から判明しました。

天守櫓がどのような形状であったかは、正確な図面が残っていないためわかりませんが1階の平面が6間四方(約11.7m)、土台部分から最上階(4階)までの高さが6間1尺(約12.0m)であったことが記録されています。


天守台(てんしゅだい)石垣
天守台石垣の角石(石垣の角部の石)、築石(角石以外の石)は、その表面を特に加工せず、ほぼ石山で割った状態のまま積み上げる、野面積み(のづらづみ)工法をとっています。

一見、乱雑な積み方にも見えますが、この築石の奥行きは表面の長さの1.5倍以上もあり、表面から見えないこの奥の部分で石どうしがしっかりとかみ合っているため、非常に頑丈な造りとなっています。

これに対して臼杵城内に現在も残る石垣の大半は、天守台が造られたあとの江戸時代に積まれたものですが、これらのほとんどが天守台石垣の積み方と違い、築石の表面だけをかみ合わせる積み方となっています。見た目は整っていますが、天守台石垣ほどの強度がないと考えられています。


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空堀


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亀首櫓跡から見た風景


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会所櫓跡から見た風景


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佛狼機砲(国崩)
天正4(1576)年、ポルトガル人より大友宗麟(おおともそうりん)に贈られた大砲。
日本初の大砲と言われている。

大友宗麟はこれを『国崩』と命名し、臼杵城の備砲として備えつけた。
島津家久軍が臼杵城に籠城していた宗麟を攻撃したときに、この大砲を使って死守した。

この国崩は廃藩置県後、国に献上し、現在は靖国神社境内に保管されております。



大友宗麟(おおともそうりん)
享禄3(1530)年、豊後の守護である大友義鑑(おおともよしあき)の嫡男として生まれる。
家中の内粉により父が殺害されると、21歳で家督を相続。以後、豊前や筑前に進出して勢力を拡大し、中国地方を支配する毛利元就との抗争を繰り広げながら九州地方北部の6カ国にまたがる広大な領土を獲得した。大友家の最盛期を築いた後、44歳で家督を嫡男の義統(よしむね)に譲ってからも実権を握り続け、天正6(1578)年にかねてより傾倒していたキリスト教に改宗すると、キリスト教徒の理想郷建設を目指して日向に侵攻し、島津義久(しまずよしひさ)と敵対。しかし、耳川の戦いでの大敗を機に領内で反乱が相次ぎ、北上する義久に次々と領地を奪われることとなった。このため、天正14(1586)年に豊臣秀吉に救援を求め、これをきっかけに秀吉が九州攻めを決意。その翌年、義久が秀吉に降伏する直前に病死する。享年58歳。

宗麟の大友館から臼杵城への移転は、中国地方を支配する毛利家の水軍に対抗するためとされているが、一説には家出の果てに本拠を移したとも言われている。
宗麟は女癖が悪く、気の強い妻・奈多夫人との仲は険悪だった。夫人の不満が爆発し、僧や山伏に命じて夫を呪い殺そうという事態に。そこで宗麟は失踪。府内の外れで発見されたものの、夫人のもとには帰りたくないと言って、家臣たちによって臼杵城に連れて行かれた。


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村瀬庄兵衛(むらせしょうべえ)政績碑
村瀬庄兵衛は、天保2(1831)年、臼杵藩の藩政改革の総元締に抜擢され、藩財政の立直しを成功させた。

この碑には、藩が多額の借金を抱え、赤字財政でも困窮し、その立て直しを迫られていた時、担当責任者として抜擢された庄兵衛が、『量入制出』の制度を採りいれ、無駄を省き、殖産にも力を注ぎ財政再建に努めたこと。さらに学古館及び講武場を設け、学問や武技を習わせ、人材育成に努めたことなどが記されています。


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二の丸
江戸時代、空堀から西側一帯を『二之丸』あるいは西の丸と呼んでいました。

臼杵城は、大友宗麟によって建設されましたが、その当時の二之丸の姿は明らかではありません。しかし、近年の発掘調査では、弘治3(1557)年、天正16(1588)年の火災で焼けた土層が確認されましたが、天正の火災層からは瓦が一点も出土していないことから、瓦葺きではなかったこと、壁土に漆喰を用いていたこと等が判明しました。
また、その層からは景徳鎮(けいとくちん、中国)製の青花磁器(せいかじき)や赤絵金欄手椀(あかえきんらんてわん)など、多くの高級陶器出土しているから、大友時代の城主居館が存在していたことが伺えます。

大伴改易後、豊後国は豊臣政権恩顧の大名である福原直高(ふくはらなおたか)、太田一吉(おおたかずよし)が相次いで入城します。これ以降臼杵城は『織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)』と呼ばれる、石垣や天守櫓等の豪壮な造りを重んじるスタイルへと変化していったと考えられます。

その後、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦直後、美濃国郡上八幡(現・岐阜県)から転封してきた稲葉氏によって、さらなる改修が実施されます。大門櫓(復元)、帯曲輪(おびくるわ)、今橋口(いまはしぐち)などもこの時に整備されました。

その後、延宝4(1676)年、当時の藩主・稲葉景通(かげみち、5代目)が本丸から二之丸に御殿を移してからは、こちらが城の中心的機能を担い、明治維新まで使用されました。



二之丸御殿(にのまるごてん)
二之丸御殿は、『書院造(しょいんづくり)』を基本とした棟をつなげた構造をしていたことが、残されている絵図からわかります。そして、その空間は『表』と『裏』に分けられました。

表空間は『大書院』『小書院』『御居間』等の大部屋が見えます。これらは政務遂行や年中行事などの儀礼に使われた空間と考えられます。『御居間』に近づくほど、より限られた身分の者しか出入りできなかったと考えられています。

奥空間には『御内所(ごないしょ)』と呼ばれる藩主らの部屋があります。藩主とその家族の日常生活の場です。
『湯殿(ゆどの、風呂)』、『御仏間(おぶつま)』等、藩主プライベートな部屋も見えます。
御殿の奥には、池や築山、石の輪橋などの配した庭がありました。また、北側には『凌雲亭(りょううんてい)』と呼ばれる茶室が造られた時期もありました。


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本丸
江戸時代、空堀から東側の一帯を『本丸』と呼んでいました。この一帯が大友氏時代にどのような姿だったのかはっきりしていません。ただ、江戸時代の二之丸よりも標高が低いところにあるため、大友氏時代には、こちらが二之丸だった可能性があります。
慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後、稲葉氏が城主となりましたが、初代藩主・稲葉貞通(いなばさだみち)と典通(のりみち、のちの2代目藩主)は本丸防衛のため、空堀を整備し、二之丸方面から本丸の入口に渡る土橋を設けました。土橋を渡るとすぐのとこめに鉄門(くろがねもん)という櫓門をもうけ、本丸の出入口を固めました。空堀は、天守櫓から見おろす位置とし、二之丸からの進入に備えたのです。

明治維新後、公園として整備され、今のような姿となりました。


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本丸の建物
江戸時代に入り、平和が続くと、藩主が政務を執行する空間『表』と、藩主の生活空間『奥』としての機能を持つ『本丸御殿』が中心的な役割を担いました。『表』も『奥』も『書院造り』を基本としていました。
現在残されている絵図によると『表』(茶色部分)には『御広間』『大書院』等、政務運行や儀礼に使われた部屋が見られます。『御広間』等からは『御舞台』が見える構造になっています。舞台は主に能に使われていたと考えられます。

一方、『奥』(青色部分)には、『御座間(ござま)』と呼ばれる藩主の部屋があります。本丸北側の崖ぎわには『御湯殿(おゆどの)』が設けられ、現在で言う展望風呂のような状態になっています。

本丸御殿は、城下町や三之丸(現・祇園州地区など)から離れ、不便だったこともあり、延宝4(1676)年、主な機能を二之丸御殿に移転しました。


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臼杵城(うすきじょう)は弘治2(1556)年、大友 義鎮 / 宗麟(おおともよししげ /そうりん)によって建てられた城です。
臼杵城が築かれた丹生島(にゅうじま)は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。
大友氏改易後は、福原直高(ふくはらなおたか)、太田一吉(おおたかずよし)と城主が替わり、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、郡上八幡より5万石の主として稲葉貞通(いなば さだみち)が臼杵城に入ります。以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。
その後、明治新政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓(うとのくちもん)、畳櫓(たたみやぐら)以外の建物はすべて破壊され、公園化されました。


弘治2(1556)年
この頃までに大友義鎮(おおともよししげ )が丹生島(にゅうじま)に城を築く

永禄6(1563)年
大友義鎮が出家し宗麟(そうりん)と名乗る

天正6(1578)年
宗麟、キリスト教の洗礼を受ける
日向に出兵するが、高城川の戦いで大敗

天正15(1587)年
宗麟、津久見(つくみ)で没する

天正16(1588)年
臼杵城及び城下が全焼する
宗麟死後、臼杵城は府内城(長男・義統 よしむねが城主)の支配となる

文禄3(1595)年
福原直高(ふくはらなおたか)、臼杵城主となる
はじめて天守櫓建てられる

慶長2(1597)年
太田一吉(おおたかずよし)、臼杵城主となる
この時期、祇園州が『三の丸』となる
城郭の大修理を行う

慶長5(1600)年
関ヶ原の戦い
西軍の太田一吉(おおたかずよし)と東軍の中川秀成(なかがわひでしげ、中津城主)が臼杵などで戦う
稲葉貞通(いなばさだみち)、美濃国郡上八幡城主から臼杵城主となる

慶長8(1603)年
稲葉典通(いなばのりみち)、二代臼杵城主となる

慶長15(1610)年
臼杵城三の丸に祇園社(八坂神社)が造営される

寛永元(1624)年
典通(のりみち)、臼杵城『鬼門』鎮護のため津久見島に弁財天をまつる

寛永4(1627)年
稲葉一通(いなばかずみち)、三代臼杵城主となる

寛永14(1637)年
島原の乱、臼杵藩士・石丸権兵衛らが出陣する

寛永18(1641)年
稲葉信通(いなばのぶみち)、四代臼杵城主となる

延宝元(1673)年
稲葉景通(いなばかげみち)、五代臼杵城主となる

元禄7(1694)年
稲葉知通(いなばともみち)、六代臼杵城主となる

宝永3(1706)年
稲葉恒通(いなばつねみち)、七代臼杵城主となる

享保5(1720)年
稲葉菫通(いなばまさみち)、八代臼杵城主となる

元文2(1737)年
稲葉泰通(いなばやすみち)、九代臼杵城主となる

宝暦13(1763)年
城下から城内にかけて大火、700軒余が焼失

明和5(1768)年
稲葉弘通(いなばひろみち)、十代臼杵城主となる

寛政12(1800)年
稲葉雍通(いなばてるみち)、十一代臼杵城主となる

文政3(1820)年
稲葉尊通(いなばたかみち)、十二代臼杵城主となる

文政4(1821)年
稲葉幾通(いなばちかみち)、十三代臼杵城主となる

弘化元(1844)年
稲葉観通(いなばあきみち)、十四代臼杵城主となる

安政2(1854)年
本丸、卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)が完成

文久2(1862)年
稲葉久通(いなばひさみち)、十五代臼杵城主となる

明治2(1869)年
各藩、版籍奉還を行う

明治4(1871)年
廃藩置県により、臼杵藩が臼杵県となる

明治6(1873)年
『城取り壊し令』により、一部の建物を残し、殆どの建物を取り壊した




臼杵城(うすきじょう)
大分県臼杵市大字臼杵字丹生島

アクセス
鉄道: JR日豊本線臼杵駅〜徒歩約10分  
車 : 大分道宮河内IC〜県道21号線〜国道217号線

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2007年10月08日

サッポロビール新九州工場 (大分・日田)

サッポロビール新九州工場 (大分・日田)
(ラッキーエビスが飾ってありました)

サッポロビール新九州工場で工場見学をしてきました。

工場内は撮影禁止なので写真はありません。

サッポロビール新九州工場では、豊かな森に育まれた良質の地下水を100%使用して、コク、香り、苦味のバランスのとれたおいしいサッポロビールを作っています。
その行程をじっくり見学することができます。

工場見学の後は、できたての生ビールを試飲することができます。もちろん無料です。
私はこの試飲を目当てにいきました(笑)

見学40分、試飲20分です。
事前に予約が必要です。


サッポロビール新九州工場 (大分・日田)

サッポロビール新九州工場 (大分・日田)

できたての生ビールを試飲します。
おつみ「ビヤクラッカー」つきです。
この「ビヤクラッカー」塩加減がちょうどよくおいしかったです。

試飲時間は20分です。一応3杯まで飲むことができますが、
20分で3杯は無理です(笑)

よーく冷えていておいしいかったです。
開放感あふれた部屋での試飲で、できるならここでゆっくりしたいと思いました♪


サッポロビール新九州工場
大分県日田市大字高瀬6979
お電話でのお申込み TEL:0973-25-1100
お申込み 受付時間 9:00〜17:00 ※年末年始(12月24日〜1月5日)を除く

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天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

天然炭酸水が湧き出る「白水鉱泉」です。

炭酸水です。あのジュワジュワ〜とした炭酸の炭酸です。
水が炭酸なんです!


山の中をくねくね走っていくと「白水鉱泉」があります。
天然炭酸水なので整備なんてされていないだろうと思ったら、
駐車場もきちんと完備されていました。
次から次へと九州ナンバーの車が入ってきます。
みなさん、天然炭酸水を求めてきています。


天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

水温約4℃の冷たい炭酸泉です。
天然なのに、水温約4℃です。
すごく冷たいです。手を5秒ほどつけているとあまりの冷たさでガンガン冷えてきます。


天然淡水 おいしいです。
水のサイダーみたいです。
砂糖を入れれば、本物のサイダーになると思います!


何杯も何杯も飲んじゃいましたぁ。おいしかった。


天然炭酸水は、糖尿病、胃のむかつき、肝臓病、アトピー・皮膚病、便秘などにも効くらしく、たくさんの人が水をもとめてやってきます。
お持ち帰りの水は有料ですが、この炭酸水を毎日飲んで健康維持に役立てるのでしょうね。
私たちも1本買い求めました。
夜、宿についても炭酸は抜けることなくとてもおいしかったです(^O^)


天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」

白水(しらみず)のいわれ

黒岳には、仙人が住んでいるという伝説があります。昔、道に迷ったきこりを案内するために、仙人が流した米のとぎ汁が湧き出し、やがて鉱泉になったのだとか。この水に含まれている多くの二酸化炭素が、岩や土を白くし、まるで水が白いように見えることから「白水」と呼ばれているそうです。



森の中に入っていくと自然がそのまま残っていて、仙人が本当にいたんじゃないかと思いましたぁ。


天然炭酸水「白水鉱泉(しらみずこうせん)」
白水鉱泉大分受付事務所
大分県大分郡庄内町大字阿蘇野2278
TEL 097-597-3267


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日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」

日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」

日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」

日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」です。

大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊りで、2006年10月30日に開通しました。
高さ173m(水面より)、長さ390mで、歩行者専用橋としては日本一の高さと長さです。


九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)という名称は、一般公募により寄せられた5,890点の中から選ばれ命名されました。


日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」

日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」

九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)からは、日本の滝百選の震動の滝や、紅葉の美しい九酔渓(鳴子川渓谷)の雄大な景色を望むことができます。

紅葉の時期はとてもきれいです。
でも、私吊り橋が苦手なので、景色を楽しむ余裕なんてまったくありませんでした(泣)


玖珠川上流の九酔渓にあり、雄滝(落差83m)、雌滝(落差93m)からなる。雄滝は水量が多く、その流れ落ちる勢いで周囲が震動するかのように思われることから震動の滝という名が付けられた「震動の滝(しんどうのたき)」は、日本の滝百選にも選ばれ、迫力ある滝です。
見るのが精一杯で、写真はまともにとれなくて・・・


吊り橋はともかく、紅葉の季節に景色を見に行きたいですね。


日本一の人道大吊橋「九重 夢大吊橋(ここのえ ゆめおおつりばし)」
大分県 玖珠郡 九重町 田野1208(おおいたけん くすぐん ここのえまち たの1208)

入場料 中学生以上 500円、中学生 200円
定休日 12月31日・1月1日 (その他気象などにより、急遽閉鎖する場合もあります。
営業時間 8:30〜16:30( 4/1〜 5/31、10/1〜11/30)
8:30〜17:30( 6/1〜 9/30)
9:00〜15:30(12/1〜3/31)



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2007年10月04日

由布院 手湯・指湯

由布院 手湯・指湯

由布院 手湯・指湯

お店屋さんの入り口に手湯や指湯があります。
ついつい立ち止まって、手をつけたり、指をつけたりします。

足湯も気持ちがいいけれど、歩きながら手湯に入るのもなかなかよいものですねぇ〜

こういうのは観光地ならでは光景ですね。
お店もいっぱいだから、あの手この手で客寄せをするんでしょうね。


由布院 手湯・指湯

由布院の駅前の喫茶店のアイスコーヒーです。
普通のアイスコーヒーが出てくると思ったら、由布岳をイメージしたアイスコーヒーです。
生クリームが雪、綿菓子が雲です。
由布院の最後にこんなにすごい飲み物に出会い大喜びです♪
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お雛様通り(勝手に命名) 由布院

お雛様通り(勝手に命名) 由布院

由布院駅に向かって歩いていると、
かわいらしいお雛様が目に飛び込んできました。

「かわいいねぇ〜」
なんて四人で話していると、
近くにいたおばあちゃんが
「この通りにいっぱいあるよ」
と教えてくれました。


お雛様通り(勝手に命名) 由布院

それはそれはかわいらしくて、
お店の前に手作りのお雛様が並んでいました。


お雛様通り(勝手に命名) 由布院

お店によって飾り方が違い、
こういう飾り方もまたいいものですね。
同じお雛様をそれぞれの感性で飾るのって・・・


お雛様通り(勝手に命名) 由布院

豪華なお雛様もステキだけれど、
こういう手作りの素朴なものもいいですね。


お雛様通り(勝手に命名) 由布院

お雛様が日光浴?

由布院に行ったのがお雛様前だったので、
かわいらしい光景を見ることができました(^O^)
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龍雲山・興禅院から金鱗湖へ

龍雲山・興禅院から金鱗湖へ

由布岳を眺めながら、川沿いの遊歩道を歩き、
龍雲山・興禅院へ。
こういうコースを選んでもらえるのも町歩きガイドさんのおかげですね。龍雲山・興禅院に着くまで由布院のことを本当にわかりやすく話しをしてくれるので楽しかったです。
ガイドブックには載っていないようことをサラリと話しくれるのですごくよかったです。


龍雲山・興禅院は、「青の洞門」を彫り上げた禅海和尚が功徳したといわれるお寺なんですが、ここにはたくさんの石仏があります。
干支の石仏は十二像ずらりと並んでいて、なかなか迫力がありました。
観光客も少なく静かなひとときを過ごしました。

龍雲山・興禅院
大分県大分郡湯布院町川南144-1
TEL 0977-84-2543


龍雲山・興禅院から金鱗湖へ

小泉元首相が泊まった由布院の御三家のひとつ「由布院 玉の湯」です。

御三家と呼ばれるだけあり、こちらも手入れの行き届いた旅館です。一般客もお茶をしたり、お土産を買ったりできるので午前中でもお客さんは結構多かったです。

由布院 玉の湯
大分県由布市湯布院町湯の坪
TEL 0977-84-2158 


龍雲山・興禅院から金鱗湖へ

クロッカスです。
紫が映えてきれいです。

由布院 玉の湯のお庭は小さな花がかわいらしく咲いています。


龍雲山・興禅院から金鱗湖へ

民芸村から金鱗湖(きんりんこ)へ。
ここらへんにくると本当に観光客も多くなります。

金鱗湖の湖底には温泉と冷泉が湧いている不思議な湖です。冬でも水温が高く、由布院で霧が発生するのはこのためだそうです。
金鱗湖の湖畔には、共同浴場の「下ん湯(したんゆ)」あり、金鱗湖を眺めながら入浴できます。

金鱗湖(きんりんこ)
大分県由布市湯布院町川上

下ん湯(したんゆ)
大分県大分郡湯布院町川上1585
TEL 0977-84-3111 (湯布院町商工観光課)
営業時間 10時〜21時
定休日 無休
入浴料200円


由布院温泉観光協会
由布院観光総合事務所
大分県由布市湯布院町川上2863番地
TEL 0977-85-4464


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湯布院ガイド・ボランティアあさぎり会・主催「町歩きガイド」

湯布院ガイド・ボランティアあさぎり会・主催「町歩きガイド」

すばらしい景色です。
この景色を見ながら、今日は由布院観光です。


湯布院ガイド・ボランティアあさぎり会・主催「町歩きガイド」を事前に予約しました。
由布院駅の前に10時に待ち合わせをしました。
とてもかわいらしい町歩きガイドさんが担当です。
小さくて本当にかわいい感じのおばちゃんなんですが、おもしろいです。
歩くに連れて、時間がたつにつれて、私たちはどんどん町歩きガイドさんの魅力に惹かれていきました。


湯布院ガイド・ボランティアあさぎり会・主催「町歩きガイド」

スカーボロです。
イギリス・アキナス社のクラシックカーなんですが、
なかなかおしゃれな車です。
このスカーボロは、由布院の中をぐるっとまわりだけと思っていたら、要所、要所で止まってくれ車から降り観光もできるようです。
歩いて周りのはちょっという方はこれに乗るといいかもね!

そのほかに辻馬車もありますが、3月上旬〜1月第1日曜までです。

あと人力車もあるんですが、こちらは乗る前にしっかり料金チェックをしたほうがいいみたいです。
町歩きガイドさんに教えてもらったところ、
人力車の走らせている方たちは、挨拶もきちんとするし、
ゴミ拾いなどもしていいところもいろいろとあるそうなんですが、たまに料金でお客さんから苦情があるのも事実らしいです。
由布院の旅をいい思い出にするためにも人力車に乗る人は料金チェックをしっかりしてくださいね。
人力車は駅前だけじゃなく、あちこちで待機しています。


町歩きガイドはコースもいろいろあり、時間も1〜2時間ぐらいです。
観光ブックを頼りに歩くのもいいけれど、ガイドさんから話を聞きながら散策するのも楽しいですよ。
観光ブックには載っていないようなことも話してくれるので、あっという間の2時間でした。


由布院温泉観光協会
由布院観光総合事務所
大分県由布市湯布院町川上2863番地
TEL 0977-85-4464

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湯平温泉(ゆのひらおんせん)

湯平温泉(ゆのひらおんせん)

由布院・鳥越を満喫して、今夜のお宿 湯平温泉(ゆのひらおんせん)へ。
由布院から湯平温泉まではJRで数分です。
昔ながらの電車に乗り、まったり気分で。

湯平温泉は、大分県由布市湯布院町湯平(旧国豊後国)にある温泉です。
鎌倉時代より約800年の歴史を持ち、種田山頭火をはじめとした文人墨客に愛されてきました。


湯平温泉(ゆのひらおんせん)

湯平温泉(ゆのひらおんせん)

湯平温泉(ゆのひらおんせん)

石畳の坂を歩き、おいしい空気と川のせせらぎを楽しみます。


湯平温泉(ゆのひらおんせん)

湯平秘密基地BAR AJITO(アジト)
湯平温泉の旅館や 商店の若旦那衆が湯平を活性化しようと始めた週末限定のバーです。


由布院は全国的に有名です。
由布院に行ったら、由布院に泊まるのもいいけれど、
ちょっと足を伸ばして、湯平温泉に泊まるのもいいですよ。

*由布院よりも料金が安い。
*こじんまりした宿が多いので、家族的な雰囲気でゆっくりできる。
*山里にある宿だから、空気がおいしい。

湯平温泉(ゆのひらおんせん)


関連記事
湯平温泉(ゆのひらおんせん)
湯平温泉「旅館 上柳屋 (かみやなぎや)」(1)
湯平温泉「旅館 上柳屋 (かみやなぎや)」(2)
湯平温泉「旅館 上柳屋 (かみやなぎや)」(3)
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2007年09月17日

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」 (2)

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

繁殖期になると体がピンク色になる「モモイロペリカン」です。
M2Fのパフォーマンスエリアにいますよ。


大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

首から胸にある黒い2本の線が特徴の「マゼランペンギン」です。
テクテク歩く姿がかわいいです♪
M2Fのパフォーマンスエリアにいますよ。


大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

常に集団行動で、寄り添って寝るのが特徴の「セイウチ」です。
この写真ではちょっと見にくいですが、口の周りにあるヒゲはエサを探すときに使います。
このセイウチは、M2Fのパフォーマンスエリアにいますよ。
セイウチのパフォーマンスショーも楽しいです。

1Fの水族館の中にもセイウチはいます。
水中のセイウチを見られるのは世界でも珍しいのでしっかり見てね♪


大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
大分市高崎山下海岸
TEL 097-534-1010 



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大分マリーンパレス水族館「うみたまご」 (1)



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大分マリーンパレス水族館「うみたまご」 (1)

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

2004年4月にリニューアルした大分マリーンパレス水族館「うみたまご」です。

家族でカップルで一日ゆっくり楽しめる水族館です。
土・日・祝日は夜間営業開催中です。
昼間と違った雰囲気が楽しめます。
夜間割引チケットは通常よりも310円お得です。

大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
大分市高崎山下海岸
TEL 097-534-1010 


大分マリーンパレス水族館「うみたまご」

海藻が波に揺れるように、ゆらゆらと動く「チンアナゴ」。
このチンアナゴは、名前の通り、アナゴの仲間で、英語では「ガーデンイール」と呼ばれています。
ひょっこり顔を出したり、砂に潜ったり、まるでみんなでかくれんぼをしているかのようです。


大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
大分市高崎山下海岸
TEL 097-534-1010 



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大分マリーンパレス水族館「うみたまご」 (2)



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血の池地獄(ちのいけじごく)

血の池地獄(ちのいけじごく)

別府地獄めぐりのひとつ「血の池地獄(ちのいけじごく)」です。
血の池地獄は「豊後風土記」(奈良時代、713年編纂開始)に「赤湯泉」と記さている、古くから知られている天然の温泉です。


血の池の湯を薄めずにそのまま冷まして引いた「足湯」もあります。
ph2.5程の強酸性のお湯です。
お肌スベスベ、皮膚病にも効果有り。
足だけなのに全身ほっかほっかになります。



血の池地獄
大分県別府市亀川野田778
TEL 0977-66-1191


血の池地獄 一ヶ所入場料金表
大人 400円、高校生 300円、中学生 250円、小学生 200円

8地獄共通観覧券
大人 2000円、高校生 1300円、中学生 1000円、小学生 900円

8箇所すべて周ると時間もかかります。
時間的に余裕がない方は、地獄めぐりは1〜2箇所に限定したほうがいいと思います。
その場合は、共通観覧券よりも個別に入場料金を払ったほうがお得です(^O^)
別府地獄めぐり公式サイト 別府地獄めぐり



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鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」



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鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」

鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」

別府地獄めぐり「鬼山地獄(おにやまじこく)」は別名「わに地獄」といわれています。


鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」

鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」

鬼山地獄(おにやまじごく) 別名「ワニ地獄」

大正12年に温泉を利用しワニの飼育を始めました。
自然の持つ力で熱帯に住むワニを四季のある別府の地に呼び寄せたのです。
以来多くのワニがのんびり暮らすようになりワニ地獄と呼ばれるようになりました。
今も90匹のワニが温泉につかって元気な顔でみなさんがいっらっしゃるのをお待ちしております。
(引用 鬼山地獄公式サイトより)

鬼山地獄では、毎週水曜日と土曜日・日曜日の午前10時から飼育員による餌やりショー開催中。
事前に鬼山地獄公式サイトをチェックして、餌やりショーの確認をしてくださいね。
季節によっては、時間等変更する場合がありますので。


鬼山地獄
大分県別府市かんなわ625
TEL 0977-67-1500

鬼山地獄 一ヶ所入場料金表
大人 400円、高校生 300円、中学生 250円、小学生 200円

8地獄共通観覧券
大人 2000円、高校生 1300円、中学生 1000円、小学生 900円

8箇所すべて周ると時間もかかります。
時間的に余裕がない方は、地獄めぐりは1〜2箇所に限定したほうがいいと思います。
その場合は、共通観覧券よりも個別に入場料金を払ったほうがお得です(^O^)
別府地獄めぐり公式サイト 別府地獄めぐり



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血の池地獄(ちのいけじごく)



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九州自然動物公園「アフリカンサファリ」

日本最大級のサファリパーク形式の動物園
九州自然動物公園「アフリカンサファリ」
大分県宇佐市安心院町南畑(旧安心院町)2-1755-1
TEL 0978-48-2331

通常営業
3月1日〜10月31日  AM 9:00〜PM17:00
11月1日〜2月28日  AM10:00〜PM16:00

入園料金
大人(高校生以上) 2,300円
小人(4才〜中学生) 1,300円


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ジャングルバスです。
ライオンやトラ、キリンなどの野生動物を間近に観察できるサファリオリジナルの生態観察バスです。

10種類のジャングルバスがあります。
バスツアーの案内役・コンダクターの個性あふれるガイドも楽しみのひとつです。


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近くにやってきたライオンにおやつをあげます。
口の中までしっかり観察!


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きりんも次から次へと集まってきます♪


ジャングルバス乗車料金(入園料とは別料金となります。)
大人(高校生以上)1,000円 小人(4才以上中学生まで)800円

休日等の混雑時には、ご乗車できない場合がありますので事前に予約することをおすすめします。
ジャングルバス・インターネット割引セット


九州自然動物公園「アフリカンサファリ」
大分県宇佐市安心院町南畑(旧安心院町)2-1755-1
TEL 0978-48-2331

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