2017年08月13日

2017年8月12日、熊本城二の丸、時習館跡

2017年8月12日撮影
熊本城二の丸、時習館跡


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二の丸広場を南から北へ進んでいます。

大小天守と宇土櫓を見て、さらに北に歩を進めると、通行路のところに白い碑があります。

ここで立ち止まって、興味を示す人はほとんどいません。

ここは藩校があったところです。その碑です。



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時習館跡(じしゅうかんあと)

藩校・時習館は、細川重賢(しげかた)公が文武の振興と人材育成を目的として、宝暦4年(1754年)12月創設。

重賢公は名君で、伝えたいこといっぱいあります。でも、長くなるので重賢公についてはまた後日。

学而時習

学びて時に之を習ふ


時習館の名称は論語からとっています。

学科は漢字、習字、故実礼式(礼儀作法)、数学、音楽、馬術、剣術、居合、槍術、薙刀、砲術、射術、軍学、犬追物、游術(水泳)など多彩で文武両道を学びました。

あと学問、武術の習得だけではなく、礼儀・礼節が大変重んじられていました。

藩士の子弟は8歳(創設のころは10歳)になると時習館に入学。また、庶民の子弟でも学力抜群な人物には入学が許されました。


初代教授・秋山玉山(あきやまぎょくざん)

豊後鶴崎生まれ。鶴崎は江戸時代肥後領でした。

叔父で医者の秋山需庵(じゅあん)の養子となる。三浦梅園(ばいえん)らに儒学を学び、6代藩主・宣紀(のぶのり)公に従い江戸に上がり、昌平黌(しょうへうこう)を学ぶ。

宣紀公の後、宗孝公、重賢公にも引き続き仕え、藩校時習館設立を建白し、初代教授になり学制を整えた。


体罰禁止
他の藩校には見られない方針に、初代教授・秋山 玉山先生は『時習館学規』の中で体罰禁止を表明しています。「子どもは性(さが)として遊戯を好むものだ。強いて罰して学校を牢獄のように恐れさせることは、人材育成の本意ではない」として、本学ではタイムアウト法(子どもを別室に移し、落ち着かせる方法。時習館では別室を「縄愆庁(じょうけんちょう)」と言いました)を採用し、学生が自ら反省するよう促します。
posted by 夢子 at 10:39| 熊本城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする